2015年7月15日水曜日

「右にならえシンドローム」にさよならを


アートのように美しい暮らし方、つまり「矛盾のない暮らし方」は決して難しいものではありません。

しかし、日本のような「車座社会」で、実現するには難易度は低いと言えないのが現実です。既成の価値観が壁になりがちだからです。



戦後のモットーは一生懸命働くことでした。

昭和の成長期に働いていた人なら、みんな「頭を使って体を動かせ」と教えられたものです。それ以前の世代なら「体を動かせ」だと思います。
いまでは「みんなで力を合わせて働け」です。

古い世代がイメージするのは、車座です。
賢い人ほど「車座意識」が強いと思います。それを推奨もします。

しかし「みんなで力を合わせてがんばろう」ということは、車座になることではありません。車座は外の社会に背を向けて内向いた状態だからです。

いまは外に向かって共有、共感が大事にされる時代です。
内向きな組織への忠誠心、仲間内での協調性を重視した関係は、仲間の突出を監視してしまい、成長をけん制するからです。

花見での車座光景を思い浮かべてみてください。車座は内向きで自分たち以外に背を向けています。
日本社会は長い間、この光景を推奨してきた傾向があります。その顕著な事例が「忠誠心」とそれを支える「滅私奉公」の精神です。その背景には権力が創造した「村社会」があります。

人によって考え方はいろいろですが、この状況は「ぬるま湯」のようなもので、浸かっている間は心地が良い。しかし長い間浸かっているとふやけてきて「会社離れ拒否」になります。努力する必要がないからです。これは「隙あらば辞めてやろう」というぐらいの意気込みのある人が帰属意識で踏みとどまっているのとはわけが違います。

それが「右にならえシンドローム」になってしまうと、会社はいやでも停滞します。この停滞を打ち破るのは、車座を解体することです。

同じことはどんな業界にも当てはまるし、個人的な暮らしにもあてはまります。みんながこぞって同じものを求める現象がそうです。
「みなさん、なになにしますよ」と言われると、横並びでそれに従う。

このような状態が慢性化してしまうのは、「自主性喪失病」で、明らかな病気です。
本当に大事なのは「自分は人と違う特別な存在」ということを強調するのが競争に勝つ要因なのに。

車座を解くということはなんら自主性を必要としなかったやり方を否定して、自律と自立を取り戻すことです。そして外の世界を見るとき、自分の内側に「きっとうまくいく」という信念を置きます。

この信念があれば、世界を見る目は変わります。
ほとんどの人は、夢や希望を語りますが、同時に実現を妨げそうな要因を考え、萎縮してしまい行動に移しません。しかし「きっとうまくいく」と信じる人は、先に行動し、そこから生じる問題をひとつずつ、自転車に初めて乗ったときのように、試行錯誤しながらうまく乗れるように挑戦していきます。このとき、自分には無理だと思った人は大人になっても乗れません。つまり子どものように、乗りたい一心で、必ず乗れると信じて、何度も挑戦するだけです。




いますぐ横並びの、「できない、無理だ、」の車座から抜けることです。






2015年7月5日日曜日

アートのように美しい生活術












人は誰でも価値ある者と思いたい、思われたいと思うものです。それこそが生きる目的だと言って過言ではありません。そして幸福に楽しむために暮らしています。

自分が大切にされてないと感じると心ばかりか、体調までおかしくなることが少なくありません。またその原因を自分が劣っているからだと思うこともあります。

何ごとにも失敗してはいけないと思っている方、自分の欲求や希望を伝えるのも、控え目にするべきだと考えている方、感情を表現を抑圧してしまう方もいます。疲れ、落ち込み、腹立ち、寂しさ、嬉しいことさえも表現してはいけないと思っている方も少なくありません。

外部評価による力、たとえば役割、地位、さらに自分ではどうにもできない年齢、性などの固定化したイメージに縛られた行動に終始して、自分の内なる力(在り方)を使わないままに自信を失っているかもしれません。

マイ・プロジェクトは、生活から生まれた「矛盾のない暮らしはアートのように美しい」をコンセプトにしています。


アートのように美しいとは、おしゃれな暮らしと思われるかも知れませんが、そうではありません。でも、そうかも知れません。なぜかというと外見的な見た目のおしゃれではなく、自分の内側からキラキラするような暮らしだからです。


したがって、マネジメントのどのシーンを切りとっていただいても、仕事と家庭の対立がなく自然なWIN-WINが構築できるだけでなく、個人、組織、共同体の幸福が無理なく共有、共感、共鳴できるようになっています。

現在のビジネス社会では以下のようなキーワードがたくさん出てきます。

WIN-WIN、アサーション、アサーティブ、コミュニケーション、スイッチチェンジ、思い込み、決めつけ、イエス、相手目線、アイスブレイク、伝える、傾聴、メリット、ニュートラル、マネジメント、コーチング、ホスピタリティ、ファーストコンタクト、ゴール、プロセス、感情、交渉、プレワーク、モチベーション、共同体、PAC交流、DESC法、 PREP法、SDS法、“WIN&LOSE”“LOSE&LOSE””GIVE&GIVEN” 率直、誠実、対等、自己責任、じぶん内の力、じぶん外の力・・・・さらにTIMEHACKS

これらの意味や使い方についても説明して行きます。それは知識になって記憶に残って行くでしょう。それはそれでいいことですが、使いこなさないと意味がありません。知識の断片がいくらあっても、それが有機的につながっていて、自動的に全部が機能する必要があります。

マイ・プロジェクトでは、意欲の源泉として、人間力の土台であるライフスキルを重視して、ライフスキルを基礎に、その上にアサーション(アサーティブ、アサーティブネス)を据えて20数年以上の研究を重ねてきました。

アサーション~遠くにあるものを近づける活動は、自分や他者の価値を値引きしない、価値を差別する基準をもたないニュートルな位置に立つところからスタートします。
元々、誰にも認められているアサーション権を知り、確信をもち、そしてそれを大切にしようとする意志が必要です。

人は生まれながらにして基本的な人権としてアサーション権を持っています。
アサーション権とは、私たちは、誰からも尊重され、大切にしてもらえる権利のことで、人間の尊厳は誰を侵すことも、誰からも侵されるものではないことを意味しています。つまり人権の基本です。

ところが、人は成長とともに後から身につけた社会的イメージを優先して、アサーション権を自覚することのないままに、自分の行動を規定して行動していることが少なくありません。

抑圧した言葉、感情はどこへ行くのでしょうか?

本来、物事そのものには意味がありません。意味づけをしているのは自分の判断ですが、アサーション権を忘れていると自分の判断であることに気がつかなくなってしまいます。

習慣、広告などの情報、他者の頭、自分の思い込み中心に考え行動しているとしたら、本当の意味で自分の頭を使うことはできなくなってしまいますが、この状態を平常時の自分だと思い込んでいる可能性があります。自分でアサーション権を拒否しているみたいです。

アサーション権を意識していないと、自分や他者の価値を値引きしてしまい、自分の価値を自分が値引きした分だけ、損している気分が高まります。 行き場をなくした自分の言葉や感情によって<Win-Lost>が頻繁に起こるようになり意欲の低下がさらに<Win-Lost>を呼び込みます。

特に本来備えている無邪気なこどもの心や保護的な親の心を抑えている傾向が強い人、つまり社会的規範に敏感な方ほど、その傾向も強くなりがちで能力を発揮できなくなります。抑圧は鬱憤(うっぷん)となって、差別化する力を台無しにしてしまい、「こんなものでしょう」といった覇気のない生活につながっていきます。

しかし、WIN-WINに目を向けてどのように展開すれば実現できるか、因果関係を組み立てていくと、アートのように美しい正しい生活術になります。

<正しい生活術>とは思い上がった考えに思えますが、どこから見ても矛盾がないからです。因果関係のすべてに整合性がとれているからです。その基礎には小学校の基礎教育にも採用されているWHO(世界保健機構)が提唱したライフスキルがあります。ライフスキルは人が健全に暮らしていくスキルと定義されています。しかし本当に役立つ基礎である生きる力は、人は誰にも教わっていません。

ほとんどの動物は親から学んでいることを思うと奇妙ですが、賢すぎてこんなことになったのではないかと想像します。

マイ・プロジェクト=<正しい生活術>とは人が幸福に楽しく暮らせるための生活術なのです。それをあなた自身が見つけ出すのをお手伝いしたいと思います。