2015年2月14日土曜日

考えることと悩むことの違い

今回は全然、Yesでないコミュニケーションについて考えみます。

考えることと悩むことの違いです。

この違いには、人生の目的の違いが潜んでいます!

考えることは生産的、悩むのは非生産的な行為で浪費に過ぎない。本人は同じだと思っている。そもそも違いに気づいていないことが非生産的な生き方をしている証です。

非生産的な生き方がなぜできるのかというと「他動的」「受動的」だからです。裏返せば「主体性がない」ということ。つまり決められない。

決められないから、悩むのですが、決めないことが安心だからです。「他動的」「受動的」なのも、それが安心だからです。

考えるという行為は答えを探しているようですが、実は答えにたどり着く質問を何度も投げかけて組み立てていくプロセスのことをいうのです。

だから、次から次へと考えている内容が変化していくのです。ひとつの問いに答えを出して、その答えに問いを出して答えを出し、その答えに問いを出して答えを出し・・・・ということが続いていき一番最初の質問に対する答えに辿り着くのです。

ところが悩む人は、「他動的」「受動的」なため、人に聞かないと分からないことが多すぎるので、考えることができずにいるのです。ですから考えて仕方のないこと、(だって自分で決めても自分がするわけではないので)ばかり考えるのです。これを考えていると思い込んでいるのですが、膨大な時間の無駄を繰り返し、最悪は時間切れで他者、環境、状況の変化に任せるのです。

しかも「他動的」「受動的」なため、どんどん複雑になっていきます。他者、環境、状況など自分ではどうにもできない要素が時間の経過とともにどんどん入り込んでくるからです。自ら袋小路に入り込んで、結論をずるずる引き延ばしておいて、最終局面で、いきなり解決しょうとするのだから、乱暴なのです。たっぷり時間があったのに、早く早くと焦るはめになります。

実はこの状況こそが本人が求めていたものなのです。
人生の目的が

・私を嫌って(私を見捨てて)
・不幸な私
・弱みの正当化
・責任転嫁
・ヒステリー糾弾
・仲間割れ

のどれかだったと分かるのです。