2011年10月31日月曜日

「声に出せない」という問題

「できませんJ「助けてください」「私はこうしたい」と声に出すのはワガママなのでしょうか?そのときどきの心の動きや感情を言葉で表現し、周りの人に伝え、わかってもらうことができれば、楽になれます。
しかし、そうしない人がたくさんいます。
そうしないでいると欲求は消えてしまうのでしょうか?

確かに感情のように消えていくものもあります。しかし本当に必要なことは消えません。では抑えこんだ欲求はどうなるのでしょうか?

感情的な行動となって表現されることが少なくありません。
感情的な行動とは、感情を行動で表現するのです。つまり腹が立っていることが分るような行動をするのです。してほしいことがあれば、プンプン、ツンツンするとかして、相手の責任にすり替えて相手に考えさせるのです。

これが問題をさらに深めます。これにひっかかるのは自己否定感の強い人です。大局的に見れば精神的な虐待が起こっているのですが、強迫的な行動が多い自己否定感の持ち主は気がつきません。感情的な行動の受け皿として都合の良い相手が自分の周囲に残ります。必要としながら相手をさげすむアンビバレンツな状態が日常化します。

感情的な行動にも、言葉で表現する場合がありますが、言葉で理解してもらうことをしないで、どちらかというと態度が主で、そのどさくさで言葉を使うだけのもの。つまり感情の勢いに言葉を載せるのです。

感情の勢いに任せるには、感情の高まりを待つ必要があります。つまり我慢を続けてヒートアップさせますが、それまでの時間、その片付いていない問題が続いているとは限りません。つまり沸点に達するまで、ずっと同じことを繰り返し考えてヒートアップさせているのです。

この状態を他者が気づいたら、「まだ、あのことを考えているの?」と呆れることも少なくないのはそのためです。
この間、本来できることには手をつけられません。あるいはうわの空で取り組むので効率が悪く成果もパッとしません。その手直しに余計な時間が費やされます。他者が眠っている間も働いているというようなことが起こってきます。心身に疲労は高まりますが、報われることはなにもないのです。不満と怒りが蓄積されていきます。

こんな手のかかることをするのは、言葉で表現できないからです。恥ずかしい、悪い、自分にそんな要求する資格がないなど、負のイメージが強いからです。負のイメージを強めているのは不満と怒りです。自己否定感が強いのに、他者に対する否定感も強い。その一方で他者には叶わないという気持ちがあります。他者に対して肯定感情と否定感情があり、相手によって使い分けることでバランスをとります。
自分が考えた強者にはへつらい、弱者には高飛車になります。アサーティブでいう対等、自己責任を自らの誤った判断で破壊し、率直、誠実は誤った責任感によって葬り去られます。

「できませんJ「助けてください」「私はこうしたい」と声に出すことは、誰にも許されている人権なのです。
問題はこの判断を間違ったことから始まっていて、そのサインがそのときどきの心の動きや感情を言葉で表現しないことなのです。

言葉に出すのです。
出せるヒントをお伝えしましょう。

もし、あなたが誰かを好きになって、その人を幸福にしたいと思って、自分の気持ちを告白するのと、恥ずかしさや不安から自分の気持ちを告白しないとしたら、どちらを選びますか?

その選択を分けるのは、プライドだと思うのです。
プライドの中味は、主体性つまり責任を引き受ける勇気です。
幸福にしたいのかされたいのか、選択と判断のポイントはそこです。
責任を引き受ける勇気がないときには、黙って黙々と自信がつくように力を育みましょう。幸福にしたいと思うなら声に出しましょう。

これはすべてに通じることです。家族、友人、顧客、上司・部下とのコミュニケーションでも同じです。だかた人のことを人間という。会話のコツは「傾聴」と言われるのも、そこに理由があります。

ライフスキル講座

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