2010年12月18日土曜日

他者否定の交流

自己否定感について、危惧される方は多いのですが、逆に他者否定についてはあまり意識されないように思います。

他者否定を自分がどのようにしているか分らないために人間関係を自ら破綻させているケースは非常に多いのです。

他者否定の交流には、主に次のようなものがあります。

責任を他に転嫁して自分の立場を守る
自分の不安や自信のなさを不平不満で覆い隠す
異性と関わった後に毎回相手を傷つけて、見捨てる
自分が援助を頼んだ相手を、窮地に追い込む
助けた相手から裏切られる
相手の過ちを見つけて執拗に責め立てる
二人以上の人々と関わると仲間割れを起こす
毎回デートの最後に喧嘩別れする

それにしても他者否定が起こる発端は、ほとんどの場合、自己否定感から始まっています。強い不安があると、自分以外に対象を見つけて、責任転嫁するのは典型的な事例です。言い訳をするときに他者のせいにするのは、よくあるケースです。

ライフスキルのひとつである批判的思考(クリティカル思考)スキルが不足しているので、強い不安や不快があると相手や環境のせいにしてしまいます。責任転嫁、他罰主義がその典型です。
何か起こった時に原因を自分の外に求めるのは珍しいことではなく、「嘘」という形で認識できます。

厄介なのはそこに、善悪や肯定・否定など白黒二分する価値観が強く入り込み葛藤が生じた場合です。

表面的には分りにくい心のトリックを「投影」という形で行われます。投影は、自分の感情を相手に投げかけて、受け取った相手の感情を相手のものとして、自分は楽になろうとするものです。

思い通りに物事が行かないときに、自分の行為の結果の重大さに圧倒されると、巧妙に自分以外の誰かのせいに仕上げて、責任、選択を自分以外の誰かや環境のせいにしてしまいます。客観的な判断ができないとストレスに耐えられずパニックになり自暴自棄的に「投影」によって不安から逃げ出して楽になろうとするのです。
感情の洪水に押し流されそうになったとき、釘がいっぱいの流木にでもすがりつくのです。

税金を未納にする人が、催促されると他にも未納者がいることを口にして逆に糾弾するのもそうです。表面では他者否定ですが、その裏では自己否定感を投影するトリックが働いているのです。

あるいは、自分が相手に好意を持っていたとして、それを何らかの事情で率直に認めることができない場合など、相手が自分に好意を持っていることに置き換えて対処する。心のキャッチボールを繰り返している内に、相手は、なんでこうなったのか、よく分からない、気がついたら立場が逆転している状態になることがあります。

人間関係の裏にあるトリックを見抜く

人間関係で悩む人は、数知れません。どうしてそんなにややこしいのでしょうか?

実は悩む裏には、巧妙なトリックがあるからなのです。
ホントは難しくないことが、難しくなるのはそのせいなのです。

ではなぜ「トリック」が仕掛けられるのか?
目的があるからです。

トリックは人為的なものです。
厄介なのは、トリックが仕掛けた本人にも意識されていない点です。
犯罪を目的としている場合は別にして、詐欺師でもないのに、わざと人間関係を悪くするなんて考えられないものです。

ところが驚いたころに、現実には、それが行われているのです。

人間関係の裏にあるトリックを見抜くことを憶えましょう。


自己否定感の強い人は自分でも感じていることが多いものですが、具体的にどのような現象を引き起こしているのか、リストアップしてみます。

泥棒に追い銭式に金銭的に損ばかりしている人
不正なことを行い懲罰を受ける状態になる人
自己憐憫の感情に浸る人
自分の能力不足を嘆き、上手に責任回避や懲罰から逃げる人
被虐的に自分の心身を痛めつける人
相手に拒絶されるような言動を繰り返し行い、見捨てられる人
他者に冷笑されるような程度の低い行動をとり、距離を置かれる人

これらは、人間関係における結末ではっきりするものですが、驚くべき点はすべて「目的」であるという点です。

損することを目的に生活している?そんなバカなと思いますが、そんなバカなことが現実に私やあなた、周りの人の間で繰り返されているのです。

自分の能力不足を嘆いている人は回りにいませんか?よく観察してみてください。
うまく責任を逃げていることが分るはずです。

でも何のために?

自分はダメな人間だと感じるためにです。
人間関係の謎を解く鍵はこの先にあります。

あなたが当たり前のことをしているのに、不愉快な気分、体験をする背景には、相手の「自分はダメな人間だと感じたい」目的が作用しているからなのです。

つまり、相手が相手に向けて出しているダメ出しを、相手に代わって引き受けてさせられているのです。他者否定感の強い人の身勝手なやり方で、つらい思いをしているというわけです。

自己否定感の強い人と他者否定感の強い人が出くわすとドンピシャで、これはもう最高のシチュエーションになり、完璧にはまるわけですが、人間関係の裏にあるトリックを見抜くスキルがあれば、はまっても、すぐに脱出できて、傷つくことはありません。


他者否定については次回にお話します。

2010年12月2日木曜日

忙しいけれど自由時間がとれる方法

「忙しすぎて、自由な時間がとれない」
時間が足りないと話す女性はたくさんいます。

それはそうだとしても、昭和の高度成長期前、つまり洗濯機も冷蔵庫もクーラーもないのが当たり前の時代のおかあさんだって店の切り盛りをしながら、子育て、家事、仕事にフル回転していました。

こういう比較はお好きでないかも知れないが、それと比べると忙しいというより、やることが多すぎないか、チェックしてみましょう。

しなくていいことをしていないか。

本当に必要なことがなにで、不要なことはなにか、誰かが仕掛けたコマーシャルベースで考えずに、自分に本当に必要な暮らしの視点で見直すのです。

「急いでいることは、忙しい人に頼め」と言います。普通は反対に思うことがそうではないのには、ちゃんと理由があります。

忙しい人は時間の使い方がうまいのです。物事の取捨選択も迅速で的確です。暇な人はダラダラと遅いので仕事が入ってこないのです。集中力の違いの差なのです。

よくケータイのメールを見ながら、 通行人にぶつかったりしながら 歩いている人がいます。このような人は時間の使い方が悪い人ではないでしょうか?

いまこの瞬間に集中したほうがはるかにミスもなく効率がいいものです。時間の観念がないから思いつきで気になることをこなす状態が段取りをしていないといことではないでしょうか?

感情の赴くままに行動していると、本当の瑞々しい感情が停滞して淀んでしまいます。

時間が不足する暮らし方には、大事なことを忘れている可能性のあることに注意してみましょう。
高度成長期前のおかあさんが大事にしていたものを見失っていないか、注意が必要です。

自分と周りの人の人生を豊かなものにするには、感情がコントロールできて、自立性が担保できている必要があります。

子育てに悩むお母さんが多い理由には、忙しくてイライラして、いまこの瞬間に集中できない散漫さが影響しています。

忙しくイライラした状態で、心の通ったスキンシップできるでしょうか?

衣食住が満たされている現代ではスキンシップの不足が目立っています。豊かな感情の交流が、多忙だからこそ、自分を振り返って、その大切さを知る機会なのです。

本当に必要なこと、不必要なことを整理する基準に「豊かな感情の交流につながることか、そうでないか」を選ぶことはすてきなことではないでしょうか?