2010年12月18日土曜日

他者否定の交流

自己否定感について、危惧される方は多いのですが、逆に他者否定についてはあまり意識されないように思います。

他者否定を自分がどのようにしているか分らないために人間関係を自ら破綻させているケースは非常に多いのです。

他者否定の交流には、主に次のようなものがあります。

責任を他に転嫁して自分の立場を守る
自分の不安や自信のなさを不平不満で覆い隠す
異性と関わった後に毎回相手を傷つけて、見捨てる
自分が援助を頼んだ相手を、窮地に追い込む
助けた相手から裏切られる
相手の過ちを見つけて執拗に責め立てる
二人以上の人々と関わると仲間割れを起こす
毎回デートの最後に喧嘩別れする

それにしても他者否定が起こる発端は、ほとんどの場合、自己否定感から始まっています。強い不安があると、自分以外に対象を見つけて、責任転嫁するのは典型的な事例です。言い訳をするときに他者のせいにするのは、よくあるケースです。

ライフスキルのひとつである批判的思考(クリティカル思考)スキルが不足しているので、強い不安や不快があると相手や環境のせいにしてしまいます。責任転嫁、他罰主義がその典型です。
何か起こった時に原因を自分の外に求めるのは珍しいことではなく、「嘘」という形で認識できます。

厄介なのはそこに、善悪や肯定・否定など白黒二分する価値観が強く入り込み葛藤が生じた場合です。

表面的には分りにくい心のトリックを「投影」という形で行われます。投影は、自分の感情を相手に投げかけて、受け取った相手の感情を相手のものとして、自分は楽になろうとするものです。

思い通りに物事が行かないときに、自分の行為の結果の重大さに圧倒されると、巧妙に自分以外の誰かのせいに仕上げて、責任、選択を自分以外の誰かや環境のせいにしてしまいます。客観的な判断ができないとストレスに耐えられずパニックになり自暴自棄的に「投影」によって不安から逃げ出して楽になろうとするのです。
感情の洪水に押し流されそうになったとき、釘がいっぱいの流木にでもすがりつくのです。

税金を未納にする人が、催促されると他にも未納者がいることを口にして逆に糾弾するのもそうです。表面では他者否定ですが、その裏では自己否定感を投影するトリックが働いているのです。

あるいは、自分が相手に好意を持っていたとして、それを何らかの事情で率直に認めることができない場合など、相手が自分に好意を持っていることに置き換えて対処する。心のキャッチボールを繰り返している内に、相手は、なんでこうなったのか、よく分からない、気がついたら立場が逆転している状態になることがあります。

人間関係の裏にあるトリックを見抜く

人間関係で悩む人は、数知れません。どうしてそんなにややこしいのでしょうか?

実は悩む裏には、巧妙なトリックがあるからなのです。
ホントは難しくないことが、難しくなるのはそのせいなのです。

ではなぜ「トリック」が仕掛けられるのか?
目的があるからです。

トリックは人為的なものです。
厄介なのは、トリックが仕掛けた本人にも意識されていない点です。
犯罪を目的としている場合は別にして、詐欺師でもないのに、わざと人間関係を悪くするなんて考えられないものです。

ところが驚いたころに、現実には、それが行われているのです。

人間関係の裏にあるトリックを見抜くことを憶えましょう。


自己否定感の強い人は自分でも感じていることが多いものですが、具体的にどのような現象を引き起こしているのか、リストアップしてみます。

泥棒に追い銭式に金銭的に損ばかりしている人
不正なことを行い懲罰を受ける状態になる人
自己憐憫の感情に浸る人
自分の能力不足を嘆き、上手に責任回避や懲罰から逃げる人
被虐的に自分の心身を痛めつける人
相手に拒絶されるような言動を繰り返し行い、見捨てられる人
他者に冷笑されるような程度の低い行動をとり、距離を置かれる人

これらは、人間関係における結末ではっきりするものですが、驚くべき点はすべて「目的」であるという点です。

損することを目的に生活している?そんなバカなと思いますが、そんなバカなことが現実に私やあなた、周りの人の間で繰り返されているのです。

自分の能力不足を嘆いている人は回りにいませんか?よく観察してみてください。
うまく責任を逃げていることが分るはずです。

でも何のために?

自分はダメな人間だと感じるためにです。
人間関係の謎を解く鍵はこの先にあります。

あなたが当たり前のことをしているのに、不愉快な気分、体験をする背景には、相手の「自分はダメな人間だと感じたい」目的が作用しているからなのです。

つまり、相手が相手に向けて出しているダメ出しを、相手に代わって引き受けてさせられているのです。他者否定感の強い人の身勝手なやり方で、つらい思いをしているというわけです。

自己否定感の強い人と他者否定感の強い人が出くわすとドンピシャで、これはもう最高のシチュエーションになり、完璧にはまるわけですが、人間関係の裏にあるトリックを見抜くスキルがあれば、はまっても、すぐに脱出できて、傷つくことはありません。


他者否定については次回にお話します。

2010年12月2日木曜日

忙しいけれど自由時間がとれる方法

「忙しすぎて、自由な時間がとれない」
時間が足りないと話す女性はたくさんいます。

それはそうだとしても、昭和の高度成長期前、つまり洗濯機も冷蔵庫もクーラーもないのが当たり前の時代のおかあさんだって店の切り盛りをしながら、子育て、家事、仕事にフル回転していました。

こういう比較はお好きでないかも知れないが、それと比べると忙しいというより、やることが多すぎないか、チェックしてみましょう。

しなくていいことをしていないか。

本当に必要なことがなにで、不要なことはなにか、誰かが仕掛けたコマーシャルベースで考えずに、自分に本当に必要な暮らしの視点で見直すのです。

「急いでいることは、忙しい人に頼め」と言います。普通は反対に思うことがそうではないのには、ちゃんと理由があります。

忙しい人は時間の使い方がうまいのです。物事の取捨選択も迅速で的確です。暇な人はダラダラと遅いので仕事が入ってこないのです。集中力の違いの差なのです。

よくケータイのメールを見ながら、 通行人にぶつかったりしながら 歩いている人がいます。このような人は時間の使い方が悪い人ではないでしょうか?

いまこの瞬間に集中したほうがはるかにミスもなく効率がいいものです。時間の観念がないから思いつきで気になることをこなす状態が段取りをしていないといことではないでしょうか?

感情の赴くままに行動していると、本当の瑞々しい感情が停滞して淀んでしまいます。

時間が不足する暮らし方には、大事なことを忘れている可能性のあることに注意してみましょう。
高度成長期前のおかあさんが大事にしていたものを見失っていないか、注意が必要です。

自分と周りの人の人生を豊かなものにするには、感情がコントロールできて、自立性が担保できている必要があります。

子育てに悩むお母さんが多い理由には、忙しくてイライラして、いまこの瞬間に集中できない散漫さが影響しています。

忙しくイライラした状態で、心の通ったスキンシップできるでしょうか?

衣食住が満たされている現代ではスキンシップの不足が目立っています。豊かな感情の交流が、多忙だからこそ、自分を振り返って、その大切さを知る機会なのです。

本当に必要なこと、不必要なことを整理する基準に「豊かな感情の交流につながることか、そうでないか」を選ぶことはすてきなことではないでしょうか?

2010年10月10日日曜日

幸福が続く結婚

幸福な結婚の背景にある愛について、考えるとかなり複雑で難しいものです、愛については、別のところで説明していますので、そちらを参考にしていただくといいのですが、でも本当のところ、人は愛について考えたりしないし、愛を欲しいとも思わないものです。

ほとんどの場合、愛は「愛」の形をして登場しないのです。

もっと簡単で、カジュアルな表情をしています。


欲しいのは、

必要とされたい。
大切だと思ってほしい。
自分を求めて欲しい。

そういう感じが現実ではないでしょうか?

それでいいのだと思う。

依存したい。
守られたい。
それでいいのだと思います。

それを求めて、引き受ける。
それがずっと続く。しあわせ。


ずっとそばにいてやりたい。
ずっとそばにいてあげたい。
それがずっと続く。しあわせ。


そういう関係を大事にしていけるといいのです。
そういう覚悟をしましょう。

覚悟がいります。ほとんどの場合は、続かないからです。
どこでどうずれてくるのやら、

ですから、愛について考えておきましょう。できるならば関係に不具合が出るまえに、知っておいて不具合が出ないようにしましょうということです。

しかし、実際の感覚  

依存したい。もたれていていいよ。
守られたい。守ってあげるよ。
仲良し。ずっと仲良し。

もたれていいよ、守ってあげるというのは、親の心に近い人ものです。愛が情に変わるといいます。情に変わるときに、男であること、女であること、異性であることが抜けている。

異性でもなく、子供でもない存在。
それを愛情とは何かで再定義しようにも、どうしていいのか分からない。

結局、異性でも、子供でもなく、夫、妻であり、父であり、母でしかない。そういう割り切り方が必要だが、いまは母なのにギャルだったりする。そいうのがカッコいいとか、フツーだったりする。

幸福とはなにか、そこから逆算した仕組みを自分が作る。ファンドがしかけた仕組みでhなく、自分の頭で客観的に自分の仕組みを作り直す。それが本当に個性的な生き方ではないでしょうか?

幸せといはなにか?自分たちでしっかり再定義する。その星のもとでずっと仲良しを続けていく。


「戦闘配置につけ」といいます。

戦闘配置につくには、
戦闘配置を決めておくこと

戦  戦闘できるようにするには、
必要なスキルを身につけておくこと。

「戦闘配置につけ」

このひとことを自分の暮らしに落とし込んだらどうなりますか?

戦闘配置とは、優先順位です。
やることに合わせてできるように何人もの自分を用意しておく

ビジネス戦士であり、父であり、夫であり、趣味人であり、隣の旦那さんであり・・・・・

独身男性なら、炊事洗濯から、ビジネススキルはもちろん、ノマドワーキングのスキルまで何人ものプロを用意して生きることになります。

自分を集めて作ったチームがチームワークで戦います。
わたし一号
わたし二号
わたし三号
。。。。。。というように、その実際はテンヤワンヤになります。

チームメンバーのプロフィールノートが必要になります。
アイデンティティですね。

2010年10月8日金曜日

無駄な過去なんてない

いまになって振り返ると、なぜあんなことをしたのだろうか?と思うことがあります。いま思えば無駄なこと、意味のないことだったとしても、その当時には必要だったことなのです。その基準は他人との比較で決まるわけではなく、自分の内側で決まることです。

 だから、本当はイチロー選手のようにこどもときに目標を持って、その実現にたっぷり時間をかけるのが効率的です。無駄を軽減できますから。それにはやっぱり親の力が大きいです。

とかく親とは、こどもの能力を値引きする傾向にあります。子供が親より勝っているというのは、ほとんどないですから。親がモチベーションを引き出すスキルと手順を持ち合わせていると、値引きすることは少ないですが、ライフスキルを身に着けた親が少ないのも現実です。

自分が親になったときにも言えることですが、子供にとって、親はいくつになっても親ですから、老いが目だってこないと、頭が上がらないことも少なくありません。しかし、自らを振り返ってみても分るように、分かっていない親も多いわけです。

 私は仕事で出会う人々によく見受ける傾向が気になります。自分の成功事例や経
験で自分の意見の正しいと主張する傾向が強いことです。正直、この種の人と話し
ていると、その偏狭な魂にうんざりして「バカか」と思うことがあります。

 たとえば有名な経営書のひとつに経済学博士マイケル・E・ポーター著の『競争の戦略』『競争優位の原則』があります。古典的な書籍です。

 読むと分りますが、言い回しが簡単ではないので、非常に難解です。正確に伝えたかったからでしょう。
それにしても何のために、そんな難解な本を読むのでしょうか?これだけの本を読むモチベーションが働いている点から、自分なりの主張も持っていると思うのが妥当でしょう。
ワタミグループの総帥 渡邊美樹氏は若いときに『競争優位の原則』を何度読んでも分らないので100回以上読んだそうです。

 でも投げ出さないのはなぜでしょう。読む必要があると感じていたのでしょう。だから理解できるまで読み続ける。必要の理由はまだ自分は未熟であり、学ぶことがたくさんあると既定していたからでしょう。その姿勢はいまも変わらないでしょう。

 このような態度は、人の上に立つものには特に重要です。間違った判断が部下を路頭に迷わすことになるからです。親にも同じことが言えます。子供を間違った方向に導いてしまうからです。

 では、未熟とそうでない違いとは何でしょうか?「なれる最高の自分」をめざす者には、これでいいということは最期までないでしょう。それは本当であっても、未熟でないレベルがあるはずです。原理原則を知っているだけでなく腑に落ちたレベルで理解しており、かつ活用できるレベルが未熟でないレベルではないでしょうか?

原理原則とは、数多くの事例から、共通した条件を数多く見出し、一定の法則を導き出したものです。

たとえば子育てでいうなら、次のような年齢と時期があります。

0歳~5ヶ月    安心認識の時期
5ヶ月~10ヶ月  親離れの芽生えの時期
10ヶ月~18ヶ月  躾で行動の制約を教える時期
18ヶ月~3歳   自分の意見(イエス、ノー)を言う時期
3歳~5歳     親を真似る時期
5歳~12歳   境界を認識する時期
12歳~18歳   親離れの時期
18歳~20歳   自立 仕上げの時期

ここから見えることは、その時期、時期の対応を間違うと健全な子育ての仕組みは崩れてくるというものです。
つまりこれは因果関係をもとに逆算して、問題を未然に防ぐための仕組みそのものなのです。

 もし、年齢と時期を考慮せずに、年齢にふさわしくないことを摘要するとどうなるでしょうか?
0歳~5ヶ月というと、こどもは見るものすべてが未知のものであり、興味の対象です。なんにでも触りたがりますが、危険がいっぱいです。この時期に、危険だからという理由でなにも触れない状態にしたら、こどもは学ぶこともできずストレスを感じます。親が危険なものを除去しておいてあげることが大事なのですが、もし親が学ぶこともしないで無関心でいたらどうなるでしょうか?

さて、怖いのはここです。学ぶこともしないで無関心でいても、運良く事故もなく大過なく過ごせる場合もあります。その事例を持ち出して「放置していたが大丈夫だった」と言い出したらどうなるでしょう。これを成功事例として、未経験の母親に教えたらどうなるでしょうか?

 野生の動物は、こどもが親から離れても生きていけるように、定めた期限までに教えます。そして期日が来ると親はこどもから離れていきます。親と子はそれを本能でやってのけます。
人間の親は、たとえば成人式までに自立させるという目標を持って育てているでしょうか?大きくすると育てるのは違うことです。

 目標を持たず、その達成のために原理原則から導き出したシステムにも無関心なまま、思いつきで子育てをしたといたら、思うような子育てはできないのが普通ではないでしょうか?同じように仕事をしても成果をものにすることはできないでしょう。赤の他人が少しばかりの情報で結婚して思うような生活ができないというのも、当然でしょう。悩み、ストレスが生じるのは必然ではないでしょうか?

はじめて結婚する人、再婚する人、結婚後の関係を最良にしたい人。。。。
自分のものにするべきは、「こうすればこうなる」という因果関係で構築された仕組みなのです。

しかし、因果関係を逆算した仕組みなど、誰が教えてくれるでしょうか?親も知らない、先生も知らない、運転免許証以上に大事なことなのに、誰も教えてくれない。流行のヒット曲に感情のあり方を学んでは感情的な行動で傷つく。そこで苦しいいまを乗り越えるために、しなくていいバカなことをやる。
それは生き抜くための救急装置である場合が少なくなく、その結果、十字架のように背負って歩くこともある。

結婚は、その典型的なひとつです。

わたしは、ライフスキル講座でも、愛について、結婚について書いていますが、ほとんどの人は考えることもなく踏み込んでいます。

実際には、ほとんどがもっとカジュアルです。彼氏、彼女との関係になるために悩んでも、その後の結婚生活でどれほど考えているでしょうか?

動機も全然ちがいます。

依存したい
甘えたい
必要とされたい
受け入れられたい

これを間違った考えだとするには、人生はあまりにも苛酷です。
恋愛が一般の人々にとって、エネルギー、安らぎになります。ならなくてどうすればいいのでしょう?

その後に、あんなに愛した人との関係性が変わったとしても仕方がありません。
過去にはそれが必要だったのですから、それでいいのです。

だから、それがなんであっても、「がんばったね」でしかないのです。思い違い、勘違い、考え違いが混ざった過去の出来事は、過去のこととして、笑い飛ばせばいいのです。一生懸命に生きた証しなのです。

で、これから先は、目標を持ってやっていけばいい。目標を持てば、こうなればこうなるという因果関係に気をつけることができます。
そのプロセスで学ぶことは、すべてプラスになります。

必要なのは仕組みを知ることです。仕組みを知って逆算できる力を育むことです。将棋やオセロ、勝負ごと、ゲームで勝つには結果から逆算することが不可欠です。求める結果がどういうものか確かに認識できなければ逆算のしょうもないのです。

この先も思い違い、勘違い、考え違いがあるでしょう。でも最小限に防ぐことができます。不容易に他者を傷つけることも減るでしょう。

過去の自分に振り回されていると、変えることは非常に困難です。変化を起こすには、小さなことからでいいから、違うことをする、違う結果を求めるしかないのです。結果は行動の集積ですから、行動を変えると結果も必ず変わるしかないのです。北に行きたければ北を向いて進むのです。

それがどうしてもできないという人は、いまある自分は因果関係の結果のいまの自分だから、変えるべき欠点ポイントを客観的に発見して、変えてみるようにすることです。そのほとんどは現実的でないネガティブな受け止め方をすることと、感情処理の仕方に問題があります。

「なぜか、ネガティブな受け止め方をしてしまいます。ポジティブに考える様に努力しているのですが・・・・」これでは対策になりません。ちゃんと理由があるわけですから、理由の根本にある考え方を変えるようにするのです。

人間が行う商売を学ぶだけでも100回以上も同じ本を読む。それでも解決するわけではなく、日々わからない事が起こってくるのです。
その人間の根本を学ぶ訳ですから、因果関係で傷ついた自分のその原因にたどりついて、不具合を変えようというわけですから、簡単であるはずがないのです。分かったと思えば、また同じ失敗をしている。気がついてガッカリする。なんだ。できていないではないか。その繰り返しをしながら、あきらめずに続ける。それしかないのです。

そこで生じることに、手を伸ばすのがゲンキポリタンです。しかし「したい、したい」というばかりで実行しない人には、手のほどこしようがないのです。
実行しない場合には冷たいのです。冷たくしかでいきないのです。

どうか、因果関係を発見して、自分の構造を知ってください。行動でなりたい自分、したいことができる自分になってください。人間関係で相手を変えたい場合は、限界がありますが、影響力のある自分になってください。

結果と原因を支配している因果関係を見つけるには、「ライフスキル講座」に参加して問題を具体的にお知らせください。

ゲンキポリタンからのお知らせでした。

2010年10月4日月曜日

なぜ、経営理念が重要か

 ライフワークとも言うべきライフスキル講座を主宰していて、思った以上に問題が多いのが男女を問わず夫婦間の愛情問題です。

 恋人、夫婦は、互いに尊敬しあっていないと親密な関係を続けることは困難ですが、互いに相手を見下している。特に男性側にその傾向があるようですが、人間関係は互いに敬う気持ちがないといい関係は築けません。

 男女、年齢の上下を問わず、敬う気持ちがないと、やる気が起こらないのは必至です。
どんな理論を引っ張ってきても、また仕掛けをしてもモチベーションが高くなることはありません。私は「仕事は愛」だと信じています。つまり敬う気持ち、思いやる気持ちがないと、成長しません。

 メンターに値するスキルを持った人物に、もし愛情が欠けていたとしたら、メンターになることはないと思います。専門的なスキルは、愛情と品格があってこそ生きるのです。品格は簡単に言うと羞恥心を持っていることで、良識と良心の集合体だといえます。言い換えると自由とは羞恥心を知っていること、持っていることです。

 愛情と羞恥心が乏しいと、自由でなくなります。夫婦間の愛情問題でゴタゴタしている人は不自由であり、モチベーションも低くなります。そして指導する立場になったときは信頼が得られず、やはり不自由を感じるでしょう。

 心ある人は、真の幸福を知っているので、人の価値を知っています。自分の信念を曲げてまで、影響を受け入れたり行動を変えることはありません。

モチベーションを考えるときに、まず真っ先に注目するのは「経営理念」とその取り組み方です。それは小さな会社、小さな部署ほど必要なのです。そしてもっとも必要とするのは経営トップというよりは、間に挟まって苦労する中間管理者です。

 私が会社勤めをして、中間管理者であった時代。勝手に経営理念を打ち立てて、浸透させました。それなしに、人を動かすことはできなかったからです。地位やキャリアは逆効果になることはあっても、ほとんど役に立つことはありません。それには愛情も品格も関係ないからです。

 一方「経営理念」には、人間をどうするかという問題そのものが含まれています。しかし実際には中小企業ほど無関心です。そんなきれいごとでメシが食えるかという発想です。実際には経営理念はきれいごとではなく汗と涙の結晶になるものであり、メシがたらふく食えるのです。

 互いに敬う気持ちが働いた高い志があるところには、難題だが、参加したい、力になりたいと思ってくれる人が集まってきます。だからこそ、高いモチベーションが掛け算で使えるようになるのです。

 まずは、夫婦間の愛情を豊かなものにすることから積み上げていくのはどうでしょう?

2010年8月26日木曜日

自分と相手の境界テスト

 人にはプライバシーがあります。ですから、親子、夫婦など、どんなに親しい関係であっても、人と人の間には、国境のように境界があります。あなたは親に届いた手紙を勝手に読みますか?恋人のケータイを無断で見ますか?他人のバックを勝手に覗きますか?

 無断で侵入すると、不法侵入です。許可のない越境は、相手を傷つけます。しかし最近、無断で越境する人が増えているようです。その延長にとんでもない事件に発展しているケースが増えています。親しさの意味をはきちがえている人が増えているのです。

「境界」は難しいテーマですが重要なので、簡単に説明しておきます。

・境界テスト
・境界の大切さ
・境界をゆるめる
・コミュニケーションに問題があると気がついたら「境界」を意識する。


▼境界テスト

 該当する項目が、いくつあるか確認してみてください。

・依頼されたり、期待されたら、断ると悪いと思ってしまう。
・断っても安心な人には、平気に断ることができる
・相手の考えに合わせて、自分の考えを変えてしまう
・自分の意見を相手が受け入れるか不安で率直に言いにくい
・(自分を受け入れる人には、気を使わずに話す)
・相手が怖くて自分の思いを言葉にできない(安心出来る相手には平気で言う)
・欲しいものや必要なものがいえない(信頼している人には不満を言う)
・ひとの意見に合わせる(信頼している人には合わせない)
・自分で決断できない(文句を言って相手に決断させる)
・相手の気持ちのすべてを自分のものにしたい
・相手を自分に合わさせようとする
・批判されると落ち込む、カッとくる
・相手が悲しんでいると自分が後ろめたく感じる
・他者の責任を押し付けられる
・相手の問題解決に必死になる
・自分よりもひとの世話をする
・相手が楽しそうでないと自分が責任を感じる
・自分の幸せは相手にかかっていると思う
・相手の問題解決のために相手以上に躍起になっている
・相手があなたを幸福にしょうとしている
・相手があなたの問題を解決してくれる
・あなたを相手の力で幸せにしてくれることを期待している
・相手の不始末の責任を自分がとっている
・休んでいたら悪い気がする
・相手に自分の食事を選んでもらう
・許可なく勝手に部屋に入ってくることを許してしまう
・許可なく勝手に部屋に入る
・健康に障害が出るほどハードな仕事をさせられている
・相手が場にふさわしくない服装だと自分がはずかしい
・疲れているのに他者に世話をさせられる
・不機嫌な態度で相手を変えようと試みる
・自分を傷つけるひとと関係を続けてしまう(自分が相手を傷つけても平気)
・自分だけの時間が持てない(相手が自分だけの時間を持つと不安になる)
・暴力行為を受ける(暴力行為をする)
・勝手に性的な接触をされる(性的な接触をさせるようにする)
・約束を勝手に変更される(約束を勝手に変更する)
・自分のモノを無断で触られる(相手のモノを無断で触る)
・貸したお金を返してもらえない
・借りたお金を返さない

境界がないと、以上のような現象が起こります。すでにお気づきのように、境界
を越えてしまうとつらいことがどんどん増えていきます。

多いほど感覚が麻痺しています。気をつけましょう。

ライフスキル講座

2010年8月13日金曜日

目標が作れない人に、作り方教えます。

 目的、目標が持てない人が多い。難しく考えずに身近なことでいいから目標を持ってみる。国内旅行、海外旅行でもいい。コンサートでもいい。ファッションだっていい。それが達成できたら、もう少し欲張って見る。大切なのは主体性を持って目標を達成する習慣を身につけること。癖にしてしまうと言ってもいい。
そこでどういうことに目的、目標を持てばいいのかを提案してみよう。

 著書「自分の人生のある場所で暮らすガイドブック」で取り上げたテーマは13ある。



 自分、コミュニケーション、「なれる最高の自分」になるコミュニケーションのこと、恋愛/結婚、ライフスキル、子育て、家族、仕事、時間、お金、セックス、健康、愛のこと・・・という具合だ。

 この内、自分、コミュニケーション、「なれる最高の自分」になるコミュニケーション、ライフスキルの4つのテーマについて、どのような目標を立てたらいいのか、戸惑う方も多いだろう。

 自分とは、自分の仕組みを理解することだ。人は他者のことをアレコレ言うが、自分のことになると分かっているようで分からないことが多い。自分が何を考え、ナニをどのようにしょうとしているのか、その障害となる自分のパターンにどんなものがあり、それはなぜ起こるのか、自分を知る勉強だ。

 コミュニケーションは、コミュニケーションのパターンを理解して応用できる勉強、

 「なれる最高の自分」になるコミュニケーションのこと。「なれる最高の自分」とは、どんな自分なのか、それを知り目標にする。それを達成する方法を学ぶ。

 ライフスキルは、必要な基本的なスキルで、技術的なスキルを習得する上でも欠かせないスキルであり、コミュニケーションする上で重要なスキル。

 以上4つのスキルは、学ぶしかない。
他の恋愛/結婚、子育て、家族、仕事、時間、お金、セックス、健康、愛の9つのテーマにはそれぞれ具体的な目標を設定できる。

「結婚」なら、週1回、1時間を使って1週間を振り返り反省と次週の目標を夫婦で話し合う。場合によっては外食を利用するのもいい。デートにしてもいい。
「子育て」では、週1回、読書会をする。
「家族」では、どのような家族にするかを話合う。結婚はふたりの問題だが、家族では家族全員のことだ。あるいは家族全員で何かをするようにしてもいい。
「仕事」では、仕事の目標を具体的に立てる。そのプロセスについて「結婚」で報告するのもいい。
「時間」は、時間の使い方の創意工夫や時間の使い方の目標を設定する
「お金」は貯蓄、保険など目標を設定する、同時に現状の認識をする
「セックス」は、セックスに関する諸問題を話し合う時間を持つ。固苦しく考えずにベッドの中でもいい。
「健康」は、健康に関する目標を設定して実行する
「愛」についは、12のテーマを話し合う機会「結婚」を語る場を持つことで深めることができる。

 これは一例なので、自分に適したものにアレンジすればいい。いずれにしろ「結婚」が会議の場のような役割を果たす。その時間をふたりのデートの時間にすれば有意義な時間を過ごすことができる。

2010年7月3日土曜日

不器用な素敵さ

愛されると負担に感じることは、おかしなことではありません。相手の期待、希望に応えたい意気込みと、応えられるだろうかと不安の狭間で揺れ動くからです。
愛されるとは自分が育つチャンスであり、飛躍のきっかけなのです。

ですから太陽の光を自分にあてるように、相手の気持ちを自分にあてる。相手の思いを大事にして、真正面で受けとめるようにすることが、関係を育むコツなのです。

負担を力に変えることはとってのすてきなことだといえます。

愛されたことを、責任をとらされると思うのは、ネガティブで受け身です。
自ら進んで責任をとりたいと思う人は、ポジティブで自主的です。


愛されることに背いて気楽でいることを選ぶ生き方もあるでしょう。
それがそれで失う代償は大きいけれど、それもまたダメだ、ダメだ、わたしはダメ人間だって、錦の御旗のようにダメ人間の旗を立てて堂々と気楽の王道を歩めばいいでしょう。どうせ私はダメ人間だと不幸の先取りをしておけばへっちゃらみたいなところがあってね。考えても仕方のないことを考え続ける。

こんな調子で自分人生をドブに捨てるくらいなら、期待に応えられなくても、応えようとするのもいいじゃないですか。少しでもたくさん、いまこの瞬間に集中する時間が持てたらすてきです。

振り返って楽しかった思い出といえば、ひたむきに打ち込んんでいたときのことばかり。それが生きるよろこびだと思います。結局、逃げた分だけ痛みになって残っています。

考えても仕方のないことだらけで、それに時間を費やすよりも、不器用でも一生懸命に取り組んでいる方がすてきではないでしょうか。


とにかく、自分の生を精一杯生き抜けということです。
それは世界中どこでも、一番美しい姿だと思いますよ。

2010年6月27日日曜日

感情的な行動

感情的な行動とは、感情をそのまま行動に移すことです。たとえば混雑した電車の中で足を踏まれたとします。この場合、痛みと不愉快な気分でイラッとしても、踏んだ相手に怒りをぶつけないのが一般的です。
怒りをぶつけないのは、怒りがないわけではありませんが、踏んだ人も悪意があったわけでなく、踏んでしまう環境が原因にあり、仕方ないと判断します。
合理的な事情を計算して、怒りを抑圧します。これが感情的に行動しない一例です。

感情的な行動とは、感情をそのまま行動に移すことなので、怒りをそのまま相手ににぶつけます。

たとえばビールを飲みたいと思っても、まだ昼だからとか、車の運転があるからとか、立場や事情を考えて、帰路につくまで待ちます。これができずに飲みたいと思えばそのまま行動に移してしまうのが、感情的な行動です。

感情は行動に移さなくていいのです。私たちの暮らしている世界は、いろんな人と共存しています。共存できるように、ルール、法律、マナー、エチケットによって互いに尊重し、不愉快な気分にさせないように配慮して暮らしています。これを前提にしているから共存できています。 私たちは、ただ単に合理的だから、便利だからという 理由を優先して暮らしているわけでも、感情を優先して暮らしているわけでもありません。

アルコールによって、コントロール機能を失った状態の人は、感情をそのまま行動に移す傾向があり、周囲は迷惑を被ることがしばしばあります。
感情そのものが問題でも、アルコールが問題なのでもなく、感情をコントロールできなくなるのが問題なのです。

感情の処理の仕方でコミュニケーションは変わります。

感情そのものはどのようなものであっても、自分の内側に生じたものなので、いい感情も悪い感情もなく、感情を否定する必要はありません。
それを可能にしているのは、感情をそのまま行動にしないコントロール力があるからです。

腹が立って殴ってやりたいと思う場合もあります。これは感情で自然なものです。行動に移さないから、感情を持つことは許されているのです。もし行動に移すなら感情そのものが暴力になってしまいます。これではストレスがたまる一方になります。

幸福な感情の場合にも、感情のまま行動すると後々問題になる場合があります。
感情は気分ですから、「あのときは結婚したい気分だった。いまはそんな気分ではない。」と後になって言われたら困ります。よく考えた末の判断は安心につながるわけです。

2010年6月13日日曜日

気後れして、うまく会話できない

 コミュニケーションを考えるとき、是非とも知っておいていただきたいことがあります。知っただけでは役に立ちませんので、行動してほしいことです。

 人は、いまこの瞬間にしか生きていないということです。

 1秒先に、自分の生命がなくなっているかも知れないなんて言うと、「理屈はそうだが」と言って笑って終わりになりそうな話です。

 それはそれでいいのです。
 でも理屈ではなく、そのように行動してほしいのです。

 思えば、科学は不可能を可能にしてきました。
 しかし現在の力では、過去には戻れません。
 未来にも行けません。
 人はいまいるこの瞬間にしか生きることはできません。

 だから、先のことを準備するのはいいことでも、不安に思うことは賢明ではありません。
 過去のことを反省するのはいいけれど、引きずることは賢明ではありません。
 因みに反省とは経験を活かすことです。

 過去をひきずり、先を不安がる。
 そのくせ、反省をしないで、準備もしない。
 これでは進歩しようがありません。

 分かっているけど、それができないと思うかも知れません。
 できないなら、しなくていいのです。
 自分の人生ですから、自分の選択です。

 でも、なにかにつけて、少しでもよくしたいのなら、できないではなく、できるようにしていかないとコミュニケーションも思うようにできません。
 隠された人生脚本の罠にはまらず幸福になるには、出来ないで終わりにしないで、やった、やっているにするのです。


 コミュニケーションが思うようにできない人には共通した傾向があります。
 自分のイメージが高すぎる。つまり自分は立派な人だと考えている。
 立派の基準がなにかよく分かりませんが、そのようです。
 その反面、自分を信頼していません。
 信頼できないのは、自分のイメージが立派すぎて、届いていないと感じているからです。
 事情がなんであれ、勝手に高いイメージを作っておいてできない、できないと言う。
 ようするに一言で言うと考えても仕方のないことを考えている。

 だから相手と対面しても、立派に見せよう、立派に思われたいと、どうでもいいことに注目しすぎて、気後れして、言葉が出ない、声が出ないというような状態になります。
 「気後れ」とは、他のことを考えているから、いますることについていけない状態です。

 考えながら食べる、考えながら運転する、考えながら話すことはできますが、考えながら別のことを考えることはできません。

 ですから気後れが起こります。

 自分のことに注目するのは自分の勝手ですが、相手にしたらどのように映るか、考えたいものです。

 相手にしたら、自分を歓迎してくれているのか、どうか分からないので不安になります。
 気後れしているのかどうか相手は分からないのです。そこまで考えないのがほとんどでしょう。
 不安になると敬遠したくなります。

 敬遠を察知すると、相手が自分を嫌った、受け入れなかったと考えます。
 これでは「ひとり芝居」です。
 相手への気配りがないままです。

 自分は相手に受け入れられたいので、相手の顔色を伺っている。
 だから相手への気づかいばかりしていると錯覚します。
 相手の顔色を伺っているのは、自分への注目だけです。

 相手の顔色を見るなら、元気そうか、疲れていないか、悩んでいないか、相手のことを心配してあげるようにしたいものです。

 相手が安心できるように、明るい元気な声で
 「おはようございます!今日は天気もよくて気持ちいいですね。お身体の調子どうですか?」と声をかけます。
 これでコミュニケーションはスタートできます。
 後は自然に展開します。

 考えても仕方のないことを考えて、いまこの瞬間から遠のくことは、誰にとってもプラスにはなりません。

 なぜなら、赤ん坊も大人も老人も、犬も、猫も、鳥も、みんな、いまこの瞬間にしか生きられないからです。

 それを無視して、自分は違う空間に生きようなんて、そんなことしていいはずないのです。違う空間にいて健康なコミュニケーションができるはずがないのです。

 気後れの正体が分かれば、すぐに改善です。

 どうしても「気後れ」が直らない?
 それもありです。自分を否定する理由にもならない。
 それも個性なのです。
 自信を持ちましょう。


コミュニケーション力の悩みから解放するライフスキル講座

2010年6月12日土曜日

社会人になる前に知っておきたいこと。

 幸福になるために、必要なスキルがあります。
 特にコミュニケーション、仕事は大事なので必要なスキルがあります。
 その分、必要でないスキルは気にしないようにしましょう。
 幸せになるために、必要と不必要なスキルの棚卸しをするようしましょう。

 できない、できないと思いわずらう人がいます。
 人は神様ではないのでできないことがあります。
 それも簡単なことができない場合も少なくありません。

 むしろ本当に注目すべきことは表面的な事象ではなく、その背景に潜んでいる問題です。
 つまり「人生脚本」のことです。

 人生脚本とは、自分でも気がつかない間に、自分が自分に用意した自分の生涯の目的です。
 わたしたちは、幸福になりたい。健康でいたい。賢くいたい。美しくいたい。と願います。 
 ところが願望に反して、不幸、不健康、愚か、醜い姿を選んでしまいます。
 もっとも本人には選んだ感覚はありません。
 潜在意識は実現するといいます。
 その言葉通り、実現してしまのは、表面的な意識以上に強い潜在意識が自分の人生脚本を書上げ、その脚本通りに行動してしまうからです。

 実に簡単なことができないという人がいます。
 確かにそういうことってあります。それは嘘でもなくそうだと思います。

 自分は新入社員研修を数多くこなしているので、そういう経験を沢山しています。
 習慣がないので、できないのです。
 ほとんどの場合、繰り返しトライすれば解決します。
 解決できるのは、本人が意識して取組むからです。

 その場合、トレーニングする者の視線が背中を押しています。
 つまり、できない原因に「甘え」 があることは否定できません。

 さて、できないことは誰にでもあります。
 だからーできないことがあっても、それで全人格が否定されるものでもありません。
 でも、本人ができた方がいいと思うなら、それはそれでいいことです。
 実行すればいのです。

 したいことは努力してできるようになればいい。
 パソコン、英語、習字を学習する要領です。
 個人差があるので、すぐにできなくても出来るようになります。

 私が新入社員研修で結果を急ぐのは、それができないと仕事にならないからです。
 新入社員ができるようになるのも、その目的や意味を理解して努力してくれるからです。

 新入社員君にしたら、いままで経験したことのないような厄介もなく会社生活ができるほうがいいでしょう。
 しかし「何も問題なく人生を過ごせたら……」という願望を理解することはできても、それは生活全般を無為にしてしまうことにつながっています。
 それは恐怖心のために、せっかく”オギャー”と生まれ出てきた子宮の羊水の中に戻る退行です。
 生まれたことを後悔しているような行為だからです。

 教育する立場で、それを許すことはできない。
 人生は個人的なものですが、共同体の一員として放置できない。
 それを認めることは「あなたはいなくてもいいよ。」というようなものだからです。


 必要なのに、できることを避けて通ろうとする場合、安全を求めて世話をされることを求めて、守ってもらえる、依存できる相手を見つけようとする意識が働いています。

 しかし、本当のところ、恐怖心と実際の能力は比例しているわけではありません。
 困難な仕事に必要な能力を持っていても、挑戦しようとはせず、自分にはできないと都合のいい合理的と思われる理由を見つけます。
 あるいはやってはみるものの、うまくできないと自ら失敗に向かいます。

 自分にはできないと都合のいい合理的と思われる理由を見つけます。
 あるいはやってはみるものの、うまくできないと自ら失敗に向かいます。
 自分には能力がないことを繰り返し証明してみせます。
 そして自分を責める・・・私たちが気をつけるべきは、そこにある「人生脚本」です。

 人生脚本はここにあり、そこにははっきりとした目的があります
 繰り返し証明するには、目的があるからです。
 この目的にあわせて自分を作っているのです。

 私たちは、「あんなこと、こんなことをしていたから、こうなったんだ。」と考えます。
 しかし、それは逆で、「目的 (結果) を達成するために、あんなこと、こんなことをしていた」というのが正しいのです。


 ある人は、永年の努力が認められて昇進しました。
 スポーツマンで、とてもエネルギッシュな人で、人付き合いもよく家庭人としても問題もありませんでした。
 しかし昇進とともに一変しました。
 不安と恐怖心で作った「想像」で、時分の内側にヒステリックな混乱が起こって、無気力になったのです。

 不安と恐怖の原因、理油はさまざまです。
 不安と恐怖は誰にもありますが、好ましくない想像が自立心をくじきます。
 自立心が思うように機能しないと、助けを求めて周囲の人に依存してしまうことは身近にあります。

 依存心が強すぎて、自分から自立心を放棄するようになると、できることでもしなくなります。
 自分にはできないことを証明しょうとするのですから手負えません。
 洞察力のある人たちが、一つ一つ噛んで含めるようにサポートしても効果のないことに疲労と挫折感を覚えるようになります。
 実はこの挫折感こそが、本人の挫折感そのものなのです。
 やがて求めている助けがエンドレスであることに、責任逃れだと思い当たるようになります。

 自分にはできないことを証明しょうとするあ者と、それを止めさせようとする者。
 主体性は、本人にあるので、止めさせようとする者に勝ち目はありません。

 この局面で、するべきことは、主体性を持った本人が自分が何を求めて、何を企て、どのような結果出そうとしているのか。
 それにどのような意味があるのか。
 それで自分がどうなろうとしているのか。
 それを知って進路を変えることです。

 サポーターの忍耐のあるサポートを受けることができても、最後に進路を決めて、進路を変える行動をとるのは、主体性を持つ資格にある自分にしかできないのです。


 不安があり、乗り越えようとしない場合には、持っている能力も実力以下の能力へと押し下げます。
 不安とは、新しいことにチャレンジする際に生まれる、自然な反応です。
 決して悪いものではありません。
 しかしこの反応に身をまかせるだけなら進化はなく、家庭人としてもいい影響がありません。

 完璧主義にように求めるイメージが高すぎるのは問題になります。
 自己イメージに「有能な私」の姿が似合わないと感じるのはロクなことになりません。
 否定的な自己イメージを持っている人は、自分の能力を高めるチャンスが来ても、問題を解決する場面でも、背を向けてしまうのです。

 人は自分の才能を認めることよりも、力がないと思っていたほうがずっと楽なのです。
 そうすれば、他人から嫉妬されることもないし、重い責任を負わずにすみます。それをよしとする理由は人それぞれです。

 どうしてそうなったのか、過去をほり返すより、どうすれば、問題を乗り越える力を発揮できるかを考えたほうが自分の人生にプラスになります。

 間違いなく言えることは、この世界を逃げるようなスタンスで生きることはかえって危険だということです。
 働くこと、暮らすこと、人生に最初から意味があるわけではありません。
 それぞれ個人が意味を発見します。

 暮らしのなかでも、仕事は使い方で生き生きした自分を取り戻す場所になります。
 あるいはより自主的になる、つまりなれる最高の自分になる場所にできるのです。
 最高の自分は最高の家族に通じています。

 「家族」「家庭」は職場と同じような構造をしています。
 職場で身に付ける問題を乗り越える力は、そのまま応用できるのです。

 「何も問題なく人生を過ごせれ ば……」という態度で家族が機能することはありません。
 機能する家族とは、問題がない家族ではなく、問題を乗り越えることができる家族なのです。
 問題を乗り越える力を育む場として、仕事の場以上の場所はないでしょう。

 家族といる時は甘えが通用するものです。
 しかし仕事をするとき、もっとも注意深さが要求されるといって言いすぎではないでしょう。
 それをストレス呼び、切り捨てることは簡単ですが、実はこの注意深さを通して、自分自身に気がつき、より良くしていくために、自分がとるべき方向と方法を発見できるようになるのです。

 それは自分と家族を守る注意深さに通じています。
 仕事は、本来の自分を取り戻す場として、最も有効な場所です。
 学校も挑戦することを求められますが、職場では責任がついてきます。
 人によって責任は重く感じるものですが、それがあるから逃げずに向かうことができる勇気を育むともいえます。

 勇気が乏しいからといって、自分を責めてはいけません。
 仕事は毎日それを問いかけています。
 だから仕事は人生の中心になるのです。
 仕事は教師の役割を果たしてくれるのです。


 安全を求めて世話をされることを求めて、守ってもらえる、依存できる相手を見つけようとすることの危険です。
 
 人間は神様ではないので、できないこあと、できることがあります。
 それは人によって違う。
 したいことなら努力を続けるとできるようになります。
 だからできない、できない。できない私はダメ人間だという意味のない考えに囚われずに、もっと行動しましょう。

 いまこの瞬間、するべきことに集中するのです。
 知っている、知らないが問題ではない。
 分かっている、分かっていないが問題ではない。
 できること、できないことが問題ではない。

 人生で、仕事で、暮らし場面で、大事なのは、
 したか、しなかったか。
 している、していない。だけなのです。

2010年6月8日火曜日

意欲のある生き方が自分を変える

 仕事は人生の中心にあります。

 そのために、人を理解するには、その人が何をして、なにが好きで、どうお金を使うのか、社会的な立場はどうかといったことよりも、何をしているかの方がずっと重要になります。

 さらに言えば、仕事をどんなふうにやっているのか、その行動に外見では判断できない実像と人生の挑戦への姿勢を見ることができます。


 ですから仕事への姿勢は、生活全般を串刺しのように貫いています。自己効力感の低い人は積極的に仕事することを避けようとします。
 「何も問題なく人生を過ごせたら……」という願望を理解することはできても、それは生活全般を無為にしてしまうことにつながっているのです。

 それは恐怖心のために、せっかく”オギャー”と生まれ出てきた子宮の羊水の中に戻る退行のようなだからです。生まれたことを後悔しているような行為だからです。

 このような場合には、安全を求めて世話をされることを求めて、守ってもらえる、依存できる相手を見つけようとします。
 本当のところ、恐怖心と実際の能力は比例しているわけではありません。困難な仕事に必要な能力を持っていても、挑戦しようとはせず、自分にはできないと都合のいい合理的と思われる理由を見つけます。あるいはやってはみるものの、うまくできないと自ら失敗に向かいます。そして自分には能力がないことを繰り返し証明してみせます。

 また、昇進を言い渡されると、不安と恐怖心で作った「想像」でヒステリックな混乱を起こし、助けを求めて周囲の人に依存してしまうこともあります。洞察力のある人たちが、一つ一つ噛んで含めるようにサポートしても効果のないことに疲労と挫折感を覚えるようになります。実はこの挫折感こそが、本人の挫折感そのものなのです。やがて求めている助けがエンドレスであることに、責任逃れだと思い当たるようになります。

 不安が実力以下の能力へと押し下げるのです。不安とは、新しいことにチャレンジする際に生まれる、自然な反応です。決して悪いものではありません。しかしこの反応に身をまかせるだけなら進化はなく、家庭人としてもいい影響がありません。

 自己イメージに「有能な私」の姿が似合わないと感じるのはいいことではありません。求めるイメージが高すぎるのです。否定的な自己イメージを持っている人は、自分の能力を高めるチャンスが来ても、問題を解決する場面でも、背を向けてしまうのです。

 人は自分の才能を認めることよりも、力がないと思っていたほうがずっと楽なのです。そうすれば、他人から嫉妬されることもないし、重い責任を負わ ずにすみます。それをよしとする理由は人それぞれですが、過去をほり返すより、どうすれば、問題を乗り越える力を発揮できるかを考えたほうが自分の人生にプラスになります。

 間違いなく言えることは、この世界を逃げるようなスタンスで生きることはかえって危険だということです。働くことに最初から意味があるわけではありません。それぞれ個人が意味を発見します。その点、仕事は使い方で生き生きした自分を取り戻す場所になります。あるいはより自主的になる、つまりなれる最高の自分になる場所にできるのです。最高の自分は最高の家族に通じています。

「家族」「家庭」は職場と同じような構造をしています。職場で身に付ける問題を乗り越える力は、そのまま応用できるのです。「何も問題なく人生を過ごせれ ば……」という態度で家族が機能することはありません。機能する家族とは、問題がない家族ではなく、問題を乗り越えることができる家族なのです。問題を乗り越える力を育む場としてこれ以上の場所はないでしょう。

 仕事をするとき、もっとも注意深さが要求されるといって言いすぎではないでしょう。それをストレスと切り捨てることは簡単ですが。実はこの注意深さを通して、自分自身に気がつき、より良くしていくために、自分がとるべき方向と方法を発見できるようになるのです。それは自分と家族を守る注意深さに通じています。仕事は、本来の自分を取り戻す場として、最も有効な場所です。学校も挑戦することを求められますが、職場では責任がついてきます。人によって責任は重く感じるものですが、それがあるから逃げずに向かうことができる勇気を育むともいえます。

 勇気が乏しいからといって、自分を責めてはいけません。仕事は毎日それを問いかけています。だから仕事は人生の中心になるのです。仕事は教師の役割を果たしてくれるのです。


 さて、今日ここでもっとも言いたいことは、安全を求めて世話をされることを求めて、守ってもらえる、依存できる相手を見つけようとすることの危険です。それは必ずしも人ではありません。「○○○○○○依存症」と言われるように依存の対象は様々です。

 時に「失敗する自分依存症」もあります。失敗する自分依存症とは、自分にはできないと都合のいい合理的と思われる理由を見つけます。あるいはやってはみるものの、うまくできないと自ら失敗に向かいます。そして自分には能力がないことを繰り返し証明してみせるやり方が常習化したものです。
 そして自分を責める・・・私たちが気をつけるべきは、「そこにある人生脚本」です。

 失敗を恥じることも悔いる必要もありません。イチローが最高レベルのバッターであっても70%近い失敗をしているのです。問題は「繰り返し証明してみせる態度」です。冒頭にあげたように、仕事をどんなふうにやっているのか、その行動に外見では判断できない実像と人生の挑戦への姿勢を見ることができるように、どんなふうにして失敗したのかです。そこに人生脚本を抱きしめたいまのあなたがいます。

 その人生脚本になにが書いてあるのか、それを読むのが難しい時には「繰り返し証明してきたこと」で翻訳してみてください。つまり同じような繰り返しをしていることはないか?どんなささいなことでもいいのです。発見してみてください。

 繰り返す恋愛のすべてが相手の女性の涙と家庭環境で始まった男性がいました。その男性は、ある日、食事をしていた隣で、同じようなことを語っていた男性に出会いました。彼らは本当にその女性を愛したわけではなく、解決できていない自身の問題に振り回されていたのです。

 ある女性たちは、好きな人と交際が始まると、終止符を打ちにかかることを繰り返していました。彼女たちも解決できていない自身の問題に振り回されていたのです。

 またある女性は、こども時代の父親と母親と自分の関係を、成人したときに、自分を母親そっくりの状況に置いて、母親と同じ状況にご主人を置き、父親と同じ状況に結婚前に交際していた状況に置きました。つまり彼女はずっとこども時代の感情のまま暮らしているのです。こども時代に封じ込められた父親への感情を持ち続けることに成功しているのです。

いま苦しいことがあるのは、偶然ではなく解決すべき課題があるサインなのです。
課題はやっつけましょう!自分の選択と行動で、もっと幸福に、楽に暮らせるようになれるのです。

ライススキル講座

2010年6月2日水曜日

理由をそえて伝える

簡単なことでも唐突に言われると、言われた側は反応に困るものです。自分の中で完結していても、相手は別人格なので、完結したことをぶつけられても困ります。

たとえどんな理由でも理油がないと分からないのです。
分かっていても、別の理由があることもあるからです。

ですから理由があると人は納得もできてしまいがちになります。
よくわからない理由でも「理由がある」ように話をされると、なんとなく納得してしまいます。

たとえば「点検しておきます。」と言われるのと、「不足がないか、点検しておきます。」では、後者の方が断然受け容れられる率は違います。さらに「安全のために不足がないか点検しておきます」と言うと成功率は高まります。ビジネスシーンのテストで明白です。

同じように「お金を貸してください」と言うのと「お金がないのでお金を貸してください」と言うのでも結果の違いは明白です。「家に帰れるかどうか心配です。お金がないのでお金を貸してください」ならよりわかりやすくて納得します。


つけてもつけなくても変わらないような理由でさえそうですから、もっとしっかりした理由であれば、結果はさらに変わります。
よりよいコミュニケーションを願うなら実行は欠かせません。

ところが、よりよいコミュニケーションを願う相手ほど、言わなくても分かってくれるはずと、勝手に自己完結してしまって、言わないケースが多いのです。

その最たる事例が単語しか言わないコミュニケーションです。「お茶」「風呂」「メシ」といった調子です。習慣化すると家族だけでなく外でもやってしまいます。これで通じるのは、相手が読んでくれるからです。
つまり依存しているのですが、その意識すらありません。多くを語らなくてもきちんと理由を伝えるのはマナーなのです。


コミュニケーションが円滑でない人は、まず「唐突であること」に気をつけてください。

頼まれたことを断わる場合、「できません」と言うのと、「今日は約束があるので、できません」というのでは相手の気持は全然違います。その上で気配りの言葉があるのとないのでは、さらに違います。

唐突というのは、正しい、間違っているを超えて、暴力的でさえある印象を与えてしまうのです。
正しいからいい、分かってくれているはずだからいい。

その背景には、「こうあるべき」の決めつけがあります。でも本当は、私とあなたは別人格であることを意識するから、コミュニケーションは楽しいはずです。「普通はこうなのよ」というのは大雑把に世間を語るときに使ったにしても、個人的な関係では、特別な人を特別でないようにされていい気持になることはないので、「普通」はないものとしましょう。


簡単なことほど、お願いするにも、断るにも、ただ結論を言うのではなく、短くてもひとこと理由を添えるようにしましょう。
簡単なことに理由をつける習慣が身につくと、大事なことに理由をつけない習慣は変わります。

「暑いので、窓をあけてください」「時間なので終わります」「疲れているので帰ります」「あなたの傍にいたいのでそちらに行きます」

自分への配慮でいっぱいいっぱいになって、相手への配慮に欠ける。それを繰り返すと負のスパイラルに陥ります。逆回転する脱出の一歩は、どんな小さなことでも理由をつける習慣から始めます。

その時に注意して欲しいのは、言いわけがましくならないこと。相手が、こう考えるだろうと考えないことです。相手に受け容れられそうな理由を考えるにではなく、自分に率直に、誠実になることです。

また、他人を理由に持ってこないこと。「あなたが動かないから私は帰ります」というように理由づけするのもルール違反です。自己責任がマナーです。「あなたが寂しいと思うから、あなたの傍に行きます」って冗談ならあっても本気ならどうでししょう。

2010年5月30日日曜日

元気な声でコミュニケーション

声の大きさは生まれつきの場合もあります。
生活体験の結果という場合もあります。
どちらにしろ、元気な声は相手を安心させます。

私は、研修で大きな声を出す訓練をします。
最初は照れてなかなか出せない人でも、基準以上になります。
最初、自分のことしか考えていないので思うように出ません。
しかしサービス業で大きな声を出すのは、お客様やチームワークで働いている同僚のためだと理解できるまで話し合います。

そうすると分かってくれて、基準以上になります。
でもがなりたてるだけの声は乱暴者の声です。
大きな声の大切さとはほど遠くなります。

そこで次に、「なにを伝えたいのか」について話し合います。
まず不安にさせない。
安心していただく。
思いやりについて話し合います。
小さなこどもさんや、お年寄りの気持ちで考えてみます。

すると大きな声であればいいということではなく、状況に応じた対応があって、元気な声が効果的であることが分かってきます。

スヤスヤ眠っている赤ん坊がびっくりするような声は厳禁です。
お年寄りには、少し大きめに、でもソフトに語りかける。
つまり状況に合った声を出す。
声はなにより相手への想いなのです。
だから「大きな声で話しなさい」といわれます。
アサーティブ、ホスピタリティなのです。

愛するとは励まし。
GIVE&GIVEです。

2010年5月29日土曜日

境界力がコミュニケーションを変える

境界のの問題はとても重要なのにあまり知られていません。

誰でもこども時代があります。
泣いたらケアしてくれた。
金切り声をあげたら言うことを聞いてくれた。
こどもはみんな万能感を体験します。

成長につれて自分のことは自分がするように教えられました。

それでも万能感があると信じ続けたこどもがいます。
やがて万能でないことを思い知らされます。
自信を失い、どうしていいのか分からなくなります。

万能でないことを隠しながら暮らします。
その分、完璧主義が強くなり生きづらさを感じます。
当人にはその事実さえ分からないままです。

 
 家庭の中心にいる女性が、一番しなければならないこと、最重要で取り組むべき課題は、家族全員の自立を目的にした暮らしです。
家族それぞれが自分の限界を知り、家族それぞれが人の間には境界があることを知り、家族全員が境界を越えない暮らし方を身につけることです。

つまり家庭内で、じぶんぢからの再生をするプロジェクトを成功させることです。

 
 洗濯、掃除、食事の準備や片づけを女性が受け持つことは女性の仕事であったにしても、脱ぎ捨てたシャツは誰が片付けるのか。散らかしたものは誰が片づけるのか。使った食器は誰が洗うのか。自分の領域、他者の領域を決めて守ることが境界の認識に欠かせません。境界を越えない責任を果たすことが自立の条件です。

脱ぎ捨てたシャツは脱ぎ捨てた人が片づけるのです。
使った食器は使った人が洗うのです。
散らかしたものは散らかした人が片づけるのです。
本人以外が手を出すと、本人は誰かがしてくれると思います。
 
 女性が、持ち前の優しさと思いやり、そして責任感で、境界を越えてサポートしてあげると、家族は自身の限界が分からなくなり、境界の認識も曖昧になります。
結局、生きづらさを手伝うことになります。
愛しているなら、鬼の顔した天使になって、相手のことには力を貸さないことです。
正しくチームワークを機能させるのをめざします。

 
 

2010年5月28日金曜日

なぜ自分のゴールを語ることができないの?

 人生のゴールを具体的に話すことが出来れば、あなたは世界一周の旅以上の幸福を手にしたようなものです。
 でも多くの人には話すことは元よりイメージすらできない。自分探しはその苦しみからの脱出に他なりません。

 それにしても、なぜ自分のゴールを語ることができないのか。
 理由は簡単だ。
 夢見ることを教わっていないのだから。

 どのようにして実現するのか、その方法も知らない。
 多くの親は幸せの代用品を手に入れる方法を教えるけれど、幸せそのものの手に入れ方を教えることはしていない。

 さて、成人であるあなたは自分の行動は自分で選択できる。
 自分の責任は自分で引き受けることができる。
 それを羅針盤にして進んで行こう。

  自分のこと、人間関係のこと、結婚のこと、子育てのこと、家族のこと、仕事のこと、時間のこと、お金のこと、健康のこと、そして愛のこと・・・・

 あなたにはいくつもの気がかりがある。

 人生のゴールには、何をしたらいいのか、判らないという切実があり、結婚や恋愛には、少女の夢が遠のき、愛には終わりが来るという冬の気配に怯えていることも少なくない。

 ひるむことなく、自分に誠実に、率直に、自分の人生のある場所で暮らすようにしよう。
あなたの尊敬する人が、自分の人生のある場所で暮らして、夢を実現しているように、人はみんな対等だということを忘れずに、

 ♪ 青い小鳥が虹を越えるなら、私にだって できるはず ♪

2010年5月18日火曜日

あなたが苦しむ原因~禁止令、命令

 やりたいと思ったことをはじめたら考えずに行動することです。なぜそれがいいのか、禁止令の支配を断ち切るためです。とにかく一応のゴールに立つこと。そこで見る景色を体験することです。それまではひたすら続けることです。

では、禁止令がどう影響しているか説明します。

 人間は考えないことはできません。考えるには言葉を使います。動物は言葉を知らないので、直感とその基盤にある記憶を使います。動物の場合の記憶は体験です。

 人間の記憶は体験に留まりませんが、それでも体験はなにより強い記憶になります。渡したい葉記憶の使い方は能力ですが、好ましい記憶があれば力になりますが、好ましくない記憶は力をそぎ落とす結果になります。

 自立が不可能なこどもにとって親の命令は生きることそのものです。命令は親から、どちらかというと異性の親から与えられる傾向があります。同性の親は異性の親の命令やあり方にどう対処するべきかについて教えてくれます。もし母親が乱暴な行為やワイルドなものを嫌っていると、息子からワイルドなものを遠ざけ、乱暴しないように言いきかせます。

 そして自分の息子はやさしく親切の子だと思い込み、それにふさわしいサンプルとして父親を与えます。父親はよい見本になる場合もあれば、反面教師になる場合もありますが、母親のメッセージは命令として心に届きます。つまり子供時代に観て感じて記憶する、両親の態度、行動、選択が、自身の世界観、信念の基礎となります。これがライフスキルの主要な部分になります。

   >>>>  ライフスキル

 このプロセスを通じて、私たちは数えきれない「すべきこと」「すべきでないこと」を記憶していきます。もし、「すべきこと」が強くインプットされて、洪水のようになってしまうと、自立への意欲は失われてしまいます。立ち向かえないと思い込んでしまうからです。

問題を乗り越える気持ちは早々に挫折してしまうのです。これでは、「しなければならない」に支配されて、「うまくできなければ意味がない」と思い込んで、人生を愉しむ力を見失います。あなたは完璧な男性、あるいは女性でないと好きになれませんか?人生はそんなものではありません。

 友人も、パートナーもなく、お金もなく、健康でもない、それでも生きる喜びを全身で受けとめて、満たされた人生を生きる人もいます。もし、あなたが反対に持っていても不安があり、生きづらいと感じているなら、そして生きる喜び、満たされた人生を生きたいのなら、今までの人生の基準だった「すべきこと」を洗い直して見る必要があります。

洗い直す作業で知ることは、たった2つだけです。

・どんな種類の「命令」が下されているのか
・それはどんなパターンであなたを動かしているか、または行動を妨げているか


たった2つは、こんな問題を解決しました。

・異性との別れを繰り返すように教わってきた
・他人の目線を、ひどく気にするように教えられてきた
・働き続けて燃え尽きてしまうように>教えられてきた
・時間とお金の両方を浪費してその埋め合わせに人生を使い切るように教わった
・誰からも愛されないように、嫌われる言動をするように>教えられてきた
・重要な人を遠ざけて希望を持てなくなるように教えられてきた
・絶望して希望をもてなくなった人、
・必ず失敗するように能力を発揮しないように教えられてきた
・目立たないように教えられてきた


 この人たちは「あるがままの姿」を自ら閉ざした人たちです。閉ざす命令を守ったせいで、「あるがままの姿」を自ら閉ざしたのです。

バカバカしいと思いませんか?バカバカしいことを毎日繰り返してあるがままの目標に到達しないように頑張っているのです。くやしくありませんか?あなたはくやしいで済ますことができても、実は周囲にいる人に迷惑をかけていることも少なくないのです。これが悪い人生脚本です。



 人生脚本を閉じたあなた、あるがままのあなたはこんな希望を持っています。

・パートナーと仲良く、いたわりあって、生涯暮らしたい。
・しっかりと子育てをして、家族が仲良く暮らしたい
・目標をもってやりがいのある仕事がしたい
・人のためになるように仕事がしたい。

 あなたならできるのです。あなたがその気持ちを行動に移しさえすればね。でもどうして、こんな簡単なことが、できないのでしょうか?あなたに下された良くない「命令」を、あなたが守って、自分の行動を遮断しているからです。決まったパターンでね。

2010年4月7日水曜日

だから私は境界を大事にする


クラブウエスト 心斎橋

たとえば、職場で上司の機嫌が悪いとき。
「課長、なんだか今日は機嫌が悪そうだな、なんかあったのかな」とあなたが思えば、
「今日の課長、えらく荒れているようだな。昨日ボクがクレーム出したのが原因かな、困ったな、また叱られるかな」と同僚は考える。

同じ場面でも、人それぞれに感じ方が違います。
コップ半分の水を見て、「もう半分しかない」と考える人、「あと半分ある」と考える人。有名な「半分のコップの水」の話と同じで、同じものを見ても感じ方が違います。

つまり、物事に絶対的な「事実」があるわけではなく、私たちが個人的に、あるいは誰かの影響を受けて意味付けしているのにすぎないのです。それにしても特有のもので、たとえば国が変わればまるで違う判断になることも珍しくありません。たとえば「クジラ」に対する考え方の違いはいい事例です。解釈が違うだけでなく、食文化でとらえる日本、生き物としての能力の高さでとらえる諸外国というように見ている立場が根本的に違います。出来串に対して肯定的に受けとめる人がいれば、否定的に受け止める人がいます。つまり私たちは、あるがままに見ているのではなく、自分の色眼鏡を通して見ているのです。
このどうしょうもない事実を受け入れなければ、公平なコミュニケーションはできないと考えるのが良いコミュニケーションをする前提になります。

基本的に、自分の感じていることは自分だけのものなのです。他者が感じていることは他者だけのものなのです。つまり感じ方の違いは、人と人の間に境界があることを語っています。だから私もよし、あなたもよし、お互いに自分の考え方を大事にしましょう。と互いの領域を認め合います。

さて、ここでひとつ間違うと、私は私、あなたはあなた。お互い好きにしましょう。になります。それは冷たいですね。「私もよし、あなたもよし、」とは、「私は私を大事にするけど、あなたのことも私の事のように大事にします」ということでないとつまらないですね。意見の違いはあるけれど、だからといって私はあなたに対して率直、誠実、対等に、責任を持って自分の意見はアサーティブに伝えますね。あなたも同じようにアサーティブに言ってくださいね。参考にしますね。と言う事の方が楽しいしうれしい。自分のことのように心配してくれる友人はありがたいものです。それは支配ではありません。私が心配しているのに私のいうことを聞かないのは許せないとなると支配です。

どんなに心配しても相手にはなれない。その切なさがあるから、自分のように心配する気持ちを大切にしたいですね。

私はここまで、ここから先はあなただけの世界。だから精一杯応援していますね。
境界線に立って、手を振る。


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マートワン
【アサーティブネス】自分をじぶんの味方にするために
【アサーティブを学ぶ】ライフスキルで自分を動かす
日本全国男前プロジェクト
ゲンキポリタンのじぶんぢから再生プロジェクト

2010年4月2日金曜日

初対面で嫌われないように気をつけること



人は外見ではないと言いますが、それは人物が充分に伝わり、理解されてからのこと。人と話す内容が大事なことは言うまでもありませんが、最初の印象が悪いと話の内容まで値引きされてしまいます。外見力が力を発揮します。
初対面なので外見を中心に特に気をつけたい点をピックアップしてみましょう。

・清潔感、清々しさで「安心感を伝える印象」
・自分を伝えるのにふさわしい「役割にあった服装」
・言葉足らずを補う「穏やかな印象と笑顔」
・印象に残る「自分に合った色使い」
・無理なく「継続できるルックス」
・「姿勢」の美しさで伝える凛々しさ
・どこから見られても同じイメージを伝える「後ろ姿」「靴とつま先」
・自律性、自己責任、爽やかさを伝える「自分を主語にした話し方」
・清潔感、清々しさで「安心感を伝える印象」

おしゃれの定義はいろいろありますが、社会人、大人のおしゃれの基本は「安心感を与えること」です。誤解しないようにしたいものです。不良性がトレンドになって長いですが、オンとオフを切り替えるスマートさは忘れたくないものです。

・自分を伝えるのにふさわしい「役割にあった服装」
安心感とともに伝えたいのが、自分のイメージ。自分は何をする人なのかを伝えないと、ただ「害のない人」になってしまいます。初対面では、「忘れない人」になることを目標にします。それには役割がはっきりとにじみ出た服装をします。

・言葉足らずを補う「穏やかな印象と笑顔」
  用意していた言葉がうまく話せないこともあります。言葉足らずを補うのが、言葉以外の要素、つまり態度、表情、外見です。なかでも「穏やかな印象と笑顔」は信頼関係の基本、安心感につながります。

・印象に残る「自分に合った色使い」
  “顔”はもっとも注目される対象ですが、その割には忘れられやすいものです。「忘れない人」「忘れさせない人」になる上で服装も大事ですが、服装もやはり記憶が遠のきやすいものです。奇抜なファッションは安心感に遠いのでNG。そこで記憶に残りやすいのが「色」です。奇抜な色ではなく、自分に合った色を絞り込んでシンプルに清々しく使いこなして印象付けましょう。

・無理なく「継続できるルックス」
  次に会ったとき、さらに継続して会ったとき、初回の印象と違うというのは不安材料になります。「いつ会っても同じ印象」は信頼関係に欠かせません。無理なく継続できる外見をモットーにします。

・「姿勢」の美しさで伝える凛々しさ
  姿勢の美しさには知性を伝える力があります。美しい姿勢を簡単に作るコツは、空から吊られているように、背筋を伸ばすこと。さらにあごを引くとまっすぐな印象になります。日頃から意識して姿勢を整えるようにトレーニングします。

・どこから見られても同じイメージを伝える「後ろ姿」「靴とつま先」
  会議中、脚の状態を見るとホンネが見えます。上半身は姿勢を正しても、見られていないと思う脚には油断が見えます。同じことは「後ろ姿」にもいえます。また挨拶したときに、うつむくと目線が靴のつま先にいきますので、靴が見えます。相手には見えないだろうと思うところにホンネが見えます。どこから見られても同じイメージを伝える配慮が信頼感を高めます。

以上は外見に関することですが、内面を伝えるうえで必ず意識してほしいのが、次のことです。


・自律性、自己責任、爽やかを伝える「自分を主語にした話し方」

 主語の使い方でコミュニケーションは全然変わります。主語を自分にしないで相手にしている事例と、自分に変えた場合の事例をピックアップします。特に言いたいことが言えない人にとって、主語の使い方を変えると劇的に変わります。

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2010年3月28日日曜日

主語を相手から自分に変える



感情的になりがちな人は、隠れ主語に『相手』を使うのでコミュニケーション・トラブルが生じます。良いコミュニケーションにするには、主語を自分にすることです。主語を自分にすると率直、誠実、対等、自己責任が実行できます。

 主語を相手から自分に変えるとどうなるか、別の事例で見てみましょう。

店長「課長に何とかして欲しいとお願いしてあった求人の問題。どうなりましたか?また退職者が出るので手が足りなくてシフトが組めませんよ。課長から手配するように総務に話していただけましたか?」

課長「ああ、あの求人の問題ね。総務も頑張ってくれているが、まだ応募が少ないようだ。」

店長「いや、応募というより求人告知の問題じゃないんですか。それに条件の見直しも必要なんじゃないんですか」

課長「それもあるだろうが、でも離職率も高すぎるっていうじゃないか。ウチみたいなところは離職を少なくしないと困るんだ。来てくれた人は大事に育てていかないとな。いまいるスタッフを大事にしないと。」

店長「いればいいってもんじゃないんですよ。ミスする連中ばかりで、こっちがバタバタするばかりなんですよ。現場のことは実感できないと思いますが、教育するのも大変なんですよ」

課長「スタッフ育成はキミの仕事だろー・そんなことはいつものことだよ。マネジメントするのが当たり前じゃないか。文句を言わずにちゃんとやれよ」

店長「いつもそうなんだから、結局、そういってまともにとりあってくれないじゃないですか」

ついにはケンカ腰になって課長を怒らせてしまいます。
この会話の、どこにどんな問題が潜んでいるのでしょうか。

ここでは店長の言葉の隠れた主語に「相手(課長)」が多く使われています。
「'手配するように総務に話していただけましたか?」
「現場のことは(課長には)実感できないと思いますが、」
「結局、(課長は)そういってまともにとりあってくれないじゃないですか」という具合です。隠れ主語で攻撃していることが明白です。

自分を主語に変えてみると
「課長の考えを聞かせていただけると(自分は)嬉しいのですが」
「現場のことを(自分は)理解してほしいのです」
「(自分には)いつもまともにとりあってくれていないように思えますしとなります。

先のものは、店長から攻撃されている印象の強い言葉ですが、隠れ主語を自分(店長自身)に変更すると、押しつけられている印象は消えて、一つの意見に様変わりします。同じ内容のことですが、このような会話に変えると相手も受け取りやすくなり、自分も話しやすくなります。

会話の目的が相手を攻撃することにあるのか、求めている結果を実現するのか、予め意識することがとても重要だということが分かります。相手を傷つけても何のメリットもありません。ウィンウィンを実現する立場に立つと会話の方向性も明確になります。主語の大切さが意識できるようになり、主語を自分にすると、自分の気持ちや意見もはっきりと言いやすくなります。
日頃から隠れ主語に「相手」を使っていないかのチェックもぜひやってみてください。主語を自分に置き換えるトレーニングをして、自分の会話パターンをより良いものに変更するようにします。

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2010年3月25日木曜日

主語の使い方でコミュニケーションは変わる



 主語の使い方でコミュニケーションは全然変わります。

特に言いたいことが言えない人にとって、
主語の使い方を変えると劇的に変わります。

▼そこで、こんなコミュニケーションをしていないか、確認してください。

待ち合わせをした友人が遅れてやってきました。

友人「ごめんなさい、遅くなって」
わたし「遅刻をすることが多いよね」
友人「仕事が長引いて」
わたし「一時間も遅れたよ」

この会話には「主語」が隠れています。主語を(  )で出してみましょう。

▼隠れ主語を出すと

友人「ごめんなさい、遅くなって」
わたし「(あなたは)遅刻をすることが多いよね」
友人「仕事が長引いて」
わたし「(あなたは)一時間も遅れたよ」
友人「ごめん、ごめん」

どうでしょう?相手を責めていることが分かります。

隠れ主語を使う人に特徴的な傾向があります。
隠れ主語に、相手(あなた)を使う傾向が高いのです。
つまり相手の責任にふってしまいます。相手は気が重くなります。


▼次に主語を私に変えるとどうなるか見てみましょう。

友人「ごめんなさい、遅くなって」
わたし「遊びの約束でも(私は)時間は守って欲しいわ。」
友人「仕事が長引いて」
わたし「(私は)あなたとの時間を楽しみしている気持ちを台無しにしたくないのよ」
友人「ごめん、ごめん」

隠れ主語を自分にすると相手を攻撃することなく言いたいことが言えるようになり
ます。言わざるを得なくなります。

同じ「ごめん、ごめん」でも相手の気持ちの状態も違うことが分かっていただけ璃
とおもいます。

上の「ごめん、ごめん」は謝罪しているけれど、立場がなくムッとしています。
(私は)を隠れ主語にした下の場合では謝罪しているだけでなく相手も気持ちの切り
替えができます。WIN-WINの関係になれます。

では、次の事例を見てみましょう

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2010年3月19日金曜日

コミュニケーション


●企業活動の問題のほとんどは
コミュニケーションの悪さに原因がある。

 たとえば、ガソリン高騰に絡んで、ガソリン税・暫定税率の失効でスタンド業界が2008年4月、熾烈な値下げ競争を展開したことは記憶に新しいでしょう。


この時、スタンドによって在庫量、仕入価格の違いなどいくつも要因が重なり、値下げ時期、値下げ幅も違いました。

 
同じ商品を売っていて違いが出るのは、どんな業界にもあり、不思議なことではありませんが、それにしても違いが出るのは、なぜでしょう?


分りやすくするために、安直ですが三段論法にまとめます。たとえば、販売価格が高いのは仕入れが高いから。それは販売力の弱さに起因する。
そして、販売力の弱さの原因は、社内コミュニケーションの悪さにある。と、まあこんな感じ。でも、これって事実です。





ビジネスとはコミュニケーション力、人間力は人間関係力です。
いいかえれば、才能という点を繋いで線にして行動しないと成功は困難であるということです。 いくら優秀な人材を集めても、歯車がかみ合わず、個々の力を十分に活かすことができないケースは、思っている以上に多いのです。

逆に優秀な人材の集団よりも、一人一人が十分に自分の力を活かすことができる密度の高い連携をとる人間関係、仕組みを持つ組織が勝ることもあります。「コミュニケーションの力」がものを言うのです。

競争が激しさを増しても、人の本質は変わりません。人はみんな、自分のことを価値ある存在と思いたい。そのために生きています。人間関係の力学に適応し、一貫した目的を持つコミュニケーションが、人を育てると同時に人を有機的につなぎます。


■問題発生時のコミュニケーション術「3つのステップ」


 コミュニケーションは相手のあること。相手の感情に注目して、自分にできる行動を選択するのが基本です。自分の感情のまま行動に発展させず、相手の感情も意識的に確認していく必要があります。



しかし、ここで気をつけるのが、相手の感情ばかりを気にして自分の感情に注意を払わないことです。自分の感情を無視したり、抑圧したりすることは、逆に感情的な行動の原因になります。感情の波に「押し流される」状態です。



建設的で気持ちのいいコミュニケーションには、自分の感情の把握やコントロールが不可欠です。
平常時、自分の感情に意識的でいることは、それほど難しくないかもしれません。何か問題が発生したときに、感情をコントロールしていくことはとても難しいものです。そんな時には、以下の3つのステップを意識して、問題の対処に進むことが理想です。感情に流されない建設的なコミュニケーションを開始できます。

(1)起こっている事実を把握する

(2)自分の感じ方を確認する

(3)解決のための最適な方法を考える。



しかしなにか問題があって不安が募ると、その不安に押し流され、自分の感情を客観的に捉えることのできない状況に陥ることがあります。




すると最後の(3)のステップに到達することなく(1)や(2)の状態からコミュニケーションを始めてしまいます。

(1)から先に進めない状態とは、事態の大きさに萎縮して、自分の感情にも向き合えないことがあります。



 この状態からコミュ
ニケーションをスタートしてしまうと、相手に「状況の解釈」「とるべき解決
策」を完全に委ねてしまいます。いわゆる「傍観者」の状態です。


また(2)から先に進めない状態とは、「自分は被害者だ」と錯覚しがちな状態です。ここからコミュニケーションをスタートすると、過剰に相手を責める、あるいは必要以上に責任を感じて、客観性のある合理的な判断ができません。結果的に「加害者」になることも少なくありません。


こう考えると、大きい不安があっても、乗り越えて(3)の状態に達するべきだといえそうです。


しかし、言うのは簡単ですが、そのためには、ちょっとしたコツが必要です。
問題が困難なほど、不安も大きいのが正常です。不安を恥じることはありません。


まずは、自分を(3)の状態にするように努めてください。それがコツです。


(2)のステップで、感じたままに行動せずに、自分の感じ方を客観的にとらえなおし、目的達成にふさわしい行動を選び、実行することです。



 人間は何かに没頭すると、いつの間にか「不安」を忘れてしまうものです。
たとえば冒険活劇のヒーローたちを思い起こしてください。苦難に遭遇しても、ポジティブ、楽観的に難攻不落の要塞を攻め落とします。彼らの勇気の源泉は、いまこの瞬間、もっとも適切な行動の選択と実行に忙しく、考えても仕方のない不安や恐怖にとらわれている時間などないのです。


■最善のコミュニケーションのために


 ラスベガスには、ドライブスルーの結婚式があります。カップルの気持ち次第ですが、やはり冗談に使う人が多いそうです。大切な約束をするときは、相応のシチュエーションが必要ですよね。


コミュニケーションのはじめ方には3つのステップがあります。しかし目的があり、求める結果を出すには、最適なタイミング、最適な場所を意識して始める必要があります。
たとえば、すれ違いざまに重要な案件を依頼するのと、時間と場所を予め約束した後に打ち合わせするのでは、どちらが相手に響くでしょうか?もちろん後者です。




ただし、いつ、どの場所で伝えるのが正しいのかという問いに絶対的な正解はありません。用件、重要度によって、そのつど考える必要があります。

どんな言葉、どんな言い回しで、と考える人は多いのですが、同じくらいに場所、時間などのシチュエーションを考慮するのは、とても重要です。

「そんなこと今更いわれなくても分っているよ」という声が聞こえてきそうですが、皆さんが思っている以上に、できていないことの方が多いものです。
いつも以上に気をつけたい重要な案件の場合、相手に伝えたときの反応への「不安」が強いと、日頃は慎重な人でも、周到さに欠けることをしてしまいがちです。

 不安なこと、言いたくないことは、最低限の義務「伝える」ということだけで済ませ、さっさと終わらせてしまいたいと考えがちです。これでは、言いにくく、不安を強く感じるほどの重要な問題が相手に伝わりません。



とりあえず伝えたから分かってくれるだろう、では他人任せというものです。
健全な精神の持ち主なら、不安感が強い問題ほど避けたくなるのは自然です。自然な気持ちを否定しないで、重要な話題こそ感情的にならずに意識的に最適な場所、時間を選び、最善のコミュニケーションを用意しようと努めるようにします。
この体験を重ねるほど、コミュニケーションの達人に近づき、同時に楽観力を育むことができます。



●進化する組織、停滞する組織


人の力は大別して2種類あります。一つが、肩書きや地位による権限や権威、所有物、専門知識・技術など、外部の評価によって計られる「外部評価による力」。

もう一つが、適応力、気付き力、協調性、自主性など様々なプロセスの中で発揮される内側のスキルともいうべき「じぶん力」です。

この2つの力。組織を維持していくにはどちらも必要ですが、どちらを重視してコミュニケーションをするかで、組織の質は大きく変わっていきます。

人は誰でも自分は大切な存在だと思いたい。そのために生きています。ですから周囲の人の評価を気にして「外部評価による力」を過剰に重視する傾向があります。

「外部評価による力」は他人から見て、明快な評価だからです。

特に「外部評価による力」偏重になりがちなビジネスシーンでのコミュニケーションでは、上下関係重視になります。活発な意見の交換が行われず、上意下達な単調なものになりがちです。

上から下という関係での仕事は、作業を求めるだけならその方が合理的という考え方もあります。しかし、それで「やりがい」を感じることができるでしょうか?
それでは、言われたことだけをしていたらいいという考え方を強めるだけです。


これでは相手の「じぶん力」である、気付きや、適応力などを活かすことができません。


一方、「じぶん力」重視のコミュニケーションでは、自分や相手のポスト、ポジションにかかわらず対等な立場で、一人一人の意見、気付きなどが共有されます。活発な意見交換が行われ、有機的に人をつないでいきます。


ほとんどの場合、仕事はチームワーク(役割分担)です。自分のポスト、ポジションで発言することが必要な場面はもちろんありますが、対等な立場で、率直、誠実にコミュニケーションをとることで、より多くの意見、気付きができます。

「外部評価による力」と「じぶん力」。

どちらを重視してコミュニケーションをするかが、「進化を続ける組織」「停滞する組織」の分かれ道といっても過言ではないと言えるのではないでしょうか? 

  
●心と用件を伝えるコミュニケーションのコツ

コミュニケーションは、まず伝えたいことを正確に伝える必要がありますが、正確に伝えるには原則があります。
 

1) 直接、伝える相手一人ごとに
2) コミュニケーションの目的を明示した上で
3) ひとつの案件を

4) 日と時刻、期限を具体的に表現する

5) 途中で確認しながら聴く

6) どう理解したかの確認をする

7) 目的や結果報告などは数字で表現

8) 本題と終了のメリハリをつける



コミュニケーションの目的は、課題のはじまり、 途中確認、結果確認のいずれかが多いものです。
行動に対する準備や確認である場合がほとんどです。

つまり伝えて終わりでなく行動が起こらないと意味がありません。正確に伝えるだけでなく、相手が正確に理解して正しい行動をしてくれるようにするのが目的です。





1)〜7)は欠かせない条件で、相手が自分より目下の人の場合は尚更です。



1)の直接、伝える相手一人ごとにというのは、 相手が話しやすいように配慮するもありますが、 理解力に個人差がある点に注意するからです。


8)の本題が終わった段階で、 「理解してくれてホッとしたよ、実のところ、どうなるかなと心配したんだよ」と 言うように、仕事と個人的な感情を区別することで、信頼を築いていきます。

緊張を緩和するために本題中に混同される方がいますが、 相手の理解力を弱めてしまう場合が多いのでメリハリをつけます。

 気持ちのいいコミュニケーションには、 正確さと次の点に留意してください。
 
A)終始、感情的にならずに、自分の感情はコントロールして
B)目的と内容に適した場所とタイミングを選んで 
C)ポストや専門知識に頼らず、自身の内面に備わったじぶん力で
D)傾聴を心がけて、相手の感情に注目して、 
E)自分にできる行動を意識しながら 
F)会話の原則を遵守しながら進める 



コミュニケーションの基本は、話ことが目的でなく、聴くために話すことを忘れないことです。

相手が理解しやすいように話すことが大切なのも、 正確に聴けるようにします。・・・・ 何のために聴くのか? 相手が自らの気づきで、正しい行動ができるようにするためです。
コミュニケーションは技術です。技術はくり返し希求すれば身につきます。
その最大の障害は感情的になることです。
技術はどんなものでも、心を確実に伝えるために欠かせません。
言葉を伝えるだけでは、心がなくても伝えられます。

しかし、感情を動かすことはできません。
感情が動かないコミュニケーションで、目的を果たすことは困難です。
感情的にならないから、感情を動かせます。


●コミュニケーションについて

 未知の分野に挑戦できる基礎的な理解力、それが教養です。スキルは生涯かけて学び続けますが、人それぞれに高めやすいスキルと苦手なスキルがあります。それが人の適正で、優劣と混同しないようにしたいものです。しかしコミュニケーションはすべての基本です。苦手でも知識を持てば、コミュニケーション・スキルをアップする機会は飛躍的に増えます。



コミュニケーション力はリーダーシップと深く関係しています。リーダーの資質は、部下はもとより、同僚、先輩、上司からも敬服される状態を実現することです。コミュニケーションの本質は相手を思う気持ちです。それを意欲にして自他ともに成長できたら幸福です。



【アサーティブネス】自分をじぶんの味方にするために
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