2016年5月10日火曜日

接客力が生み出す利益



接客力は、その企業の「完成品」です。
私たちはよく「工場の自動化された商品づくり」の映像を目にします。
ラーメンだったり、車だっだったり、小さなものから大きなものまで様々です。

見た目は違うけど、接客力も同じで、組織の仕組みの完成品が「接客力」です。

自社の仕組みの完成品が何か?
そこがボヤけていたら、右往左往して「完成品」は作れません。
資本力のある他社と同じように頑張ろうと錯覚したなら彼らの思う壺です。
ボクシングのルールで関取は戦えません。

しかもこっちがいいと言ってもらえる完成品でないと商品にならないので、きちんと完成させる必要があります。

会社の総力はここに注がれるべきです。

ところが大半の組織では、これを完成品と見なせない理由があります。
費用対効果がわからないので、「そんなこと意味あるのか?」と猜疑心が生まれ現場の問題にしてしまうのです。

接客力がアップすればどれだけ利益が増えるのか想像する根拠すら持たないので
良いに越したことはない程度に終わってしまうのです。
その結果、言葉は悪いですが「現場で付与するおまけ」に成り下がってしまうのです。

そこで感覚、感情的に、接客レベルをあげましょうと「スローガン」でしか対応できなくなり、トップが思うレベルと、現場が思うレベルに食い違いが生じます。
その結果、「働きがいのある職場」といっても福利厚生の向上しかイメージできなくなってしまうのです。

しかし接客力を「完成品」だと位置付けていたら、「働きがいのある職場」という戦略、戦術がなければ、「完成品」としての「接客力」も、メーカーや商社の完成品に勝る魅力のあるものにはなれないことが分かります。

このプロセスには、企業が抱える数多くの問題が潜んでいます。
つまり「接客力」に絞れば課題は全部片付いていきます。
なにを切り口にしても同じなのです。
であるなら、命運を握っていることに集中するのが得策です。

この問題に焦点をあてて組織の仕組みに仕上げて世界的なコーヒーチェーンにまで成長したのが「スターバックス」です。
現在、スターバックスの最強の強みは接客力だとお客さんが認識しています。店頭での仕事そのものは難しいものではありませんが、いつも最良の「完成品」を提供できるように成長に比例して「組織の仕組み」にしたのです。

そこには「接客力」を飛躍的にあげない限り、町のコーヒーショップから脱皮できないという「切実」があったからです。

同じことは、すべてのサービス業で問われています。しかし「接客力がアップすればどれだけ利益が増えるのか」を日夜考えて実行している会社はどれほどあるでしょう。



完成品としての接客力

そのための仕組み


決して複雑なことではありません。

最初の一歩は「本気で接客力を改善する」意識の浸透です。

それには「接客力がアップすればどれだけ利益が増えるのか」という課題と本気で向かい合うことです。





2016年4月28日木曜日

新規客が一番正確な評価をしてくれる


売る意欲はとっても大事です。
しかし売る気、売りたい気持ちが先立つと、お客さまに伝わってお客さまは引きます。

お客さまは想像以上の係員の表情、態度、動作を見ています。
相手の敷地内にいることは動物的に防御本能を呼び起こすからです。
信頼感が薄いと比例するように強くなります。
しかもパーソナルエリアを無視して言いたいことだけを言い続けていると嫌悪感を持たれてしまいます。

この状態で売りたい気持ちが伝わると、売れるものでも売れなくなります。
その証拠によく売る店員さんと、売れない店員さんのしていることには大差ありません。

つまりよく売る人と、売れない人には「在り方」の違いがあります。

この意味がわからない「よく売る人」は、実はまだまだ売る力が弱いのです。よく売るといっても売れない人と比べて相対的によく売っているだけで絶対的に売っているわけではないのです。

この意味が分かる人は、絶対的に売っている人だと思います。

では、どのように「在り方」が違うのでしょう。
よく売る店員さんは「売りたい」と思いません。
「買っていただきたい」と思うのです。
つまりお客さま目線に立って会話しているのです。

お客さま目線に立って会話とは、どういう会話でしょう?
お客さまが「自分のことを気にかけてくれているな」と感じる会話です。

その一番わかりやすい事例が、「お客さま」ではなく、「お名前」で呼ぶことです。
お名前で話す店は増えていますが、「なんのために」が理解されていないので、形骸化されていて、目配り、気配りがないままお名前を呼んでるだけになるのです。

「在り方」とは具体的にどんな違いなのでしょう。

街を歩いていたら掃除中の婦人。
「なにをしてるんですか?」と訊いてみました。
最初の婦人は、「掃いているんです」と答えました。
二番目の婦人は「開店準備をしてるんです」」と答え
三番目の婦人は「来ていただく方の心が癒せるように手入れしてるんです」と答えました。
質の高い仕事をしているのは、三番目の婦人であることは間違いがありません。
最初の婦人は、質の高い仕事ができるチャンスがあるにもかかわらず、単なる行為に終始して、成長の機会を自ら放棄しているのです。
その仕事は単なる行為(Do)か、在り方つまり生き方(Be)なのか、その差は他のなにをもってしても埋めようがないのです。

この違いをもっとも敏感に感じるのは「新規客」です。
新規客はお店との信頼関係がありません。
だからすごく用心もしているし、よく観察しています。

つまり新規客は、もっとも手厳しく正確な判断するお客さまです。
ところがお店側はというと、売りたい気持ちが先立っているほど、雑に扱いがちなのです。

カードを発行したりしていると、その行為で大事にしていると錯覚しがちですが、それはお店の都合優先で、決して気配りしているわけではないのです。
その状態をお客さまはどう感じるでしょう?
「もう二度と来ない」か「限定して利用しよう」になります。

幸いリピートしてくれても「限定して利用しよう」と決め込んだお客さまに「売る気」が先立つと「やっぱりダメだな」と思わせてしまい「もう二度と来ない」に逆戻りしてしまうのです。

こうなると新規客はリピートしないし、既存のお客さまに売れるものも売れなくなります。

どこで間違ってしまったのでしょう?
「在り方(Be)」です。
「買っていただきたい」という気持ちの有無です。
買っていただくには、お客さまの心情を理解しなければ買っていただけません。

洋服を欲しがるお客さまなら、洋服の商品説明ではなく、なぜこのお客さまは洋服を必要としているのかを知るということです。
洋服を買い換えることで、どのようになりたいのかを知ることです。
こんなことが分からずに洋服の商品説明を一方的にされても、お客さまは気配りされていると思うことはないのです。

問題はそれでも売れてしまうので、自分はよく売ると誤解させてしまうのです。しかしそれは「幸いにして売れた」に過ぎないのです。つまり自ら成長の芽を摘んでしまっているのです。

この数字の集積が他店との差になったときに、やっている行為は同じようなので訳が分からなくなってしまい、原因を自分以外に求めます。

もし、なぜこのお客さまは洋服を必要としているのかを知り、洋服を買い換えることで、どのようになりたいのかを知っていたら会話の内容も変わります。
会話の内容が変われば結果も変わります。
結果が変わるきっかけは、お客さまに対する「在り方」の違いです。

行為は外面なので見たらわかりますが、「在り方」は内面の問題なので見てもわかりません。感じるのです。
一番感じてくれるお客さまが「新規客」なのです。

「新規客の獲得と既存客の維持」この2つの車輪が回らないと「店はひっくり返ります。
どっちを怠ってもダメですが、「本日が開店日」というスローガンがあるように、新規客の気持ちを満たしていれば、既存客の気持ちも満たせます。
逆に既存客の気持ちは満たせても、新規客の気持ちは満たせません。
既存客の判断のほうが緩いからです。
ヘビーユーザの気持ちを満たすことに走り、新規客を雑にしていると、2つの車輪は回らなくなります。

手厳しい新規客の満足をバロメーターにすることをなにより優先しないと店は衰退します。
なぜ衰退するかといえば衰退の道を選んでいるからです。

0を1にするのは難しいが、1を10にするのは簡単です。10を100にするのはもっと簡単です。100を1000にするのはもっと簡単です。
その証拠に、どんなビジネスでも成功するものは一握り。ほとんどはうまくいきません。

なぜでしょう。間違ったことを続けているからです。裏返せば成功の扉は目の前にあるということです。0を1にする方法はPDCAしかありませんが、間違ったPDCAをいくらやってもうまくいきません。

その答えがここにあります。

「なにをしてるんですか?」と訊いてみました。
最初の婦人は、「掃いているんです」と答えました。
二番目の婦人は「開店準備をしてるんです」」と答え
三番目の婦人は「来ていただく方の心が癒せるように手入れしてるんです」と答えました。

よく売る人も、売れない人もしていることは同じです。

行為は同じでも在り方が違う。
その違いを一番手厳しく評価してくれているのは「新規客」です。














2016年4月19日火曜日

プロフィールを知らずして




「今日はお天気いいですね。」

店頭でのコミュニケーションはこんなものだと思い込んでいませんか?

それもコミュニケーションとは言えなくもありませんが、相手の感じ方次第です。
単なる挨拶だと思われたらそうだし、それ以上に温かいものがあればそうだし。それは話す人の人柄によります。温かい陽性のストローク(交流)を深めていこうとする在り方が人柄を作っています。

自分が言いたいこと、聞きたいことだけしか話さないというのは、温かいストローク(交流)にはなりません。

「おはようございます」も「こんにちは」もなく、聞きたいことだけしか言わない人っているものです。マネジャーであれ、スタッフであれ、それでは取調べです。

しかも自分が話したいときだけとなると勝手極まりない。不快感しか与えませんが、業種問わず存在します。トレーニングされてない場所ではよく見かけますが、マネジャーも含めて気がついていないケースが多いです。お客様は気がついていて口々に不満を述べていますが。

コミュニケーションとは、温かいストローク(交流)をするために、まずお客様のプロフィールを知ることだと思います。でないと、お客様との距離をつめることはできないからです。

よく名前を聞きだそうとします。この意味を勘違いしていませんか?

プロフィールが分からないと温かいストローク(交流)をしたいと思っても、いつも同じ距離でしかできないので飽きられます。


同じ接客では、どんなに素晴らしくても、マンネリによってお客様は遠のきます。うちの接客は素晴らしいと思い込んでいる人が少なくありませんが、それが大したものでないなら、ほとんど効果はありません。



2016年4月17日日曜日

喜んでもらえるうれしさ



新規客が多いうちは、行け行け気分で、絶好調と思うのは勝手ですが、その商圏に住む人が無尽蔵に増えるということはあり得ないので、いつまでも続くはずがありません。

新規客が多い都市圏でも同じで、償却年数を高速化してリニュアールしたり、業態を変えたりして新陳代謝を図りますが、それだって現在のように競争が激化すると思うようにいかなくなります。

これらは、店舗運営なら、立ち上げる前から、折り込み済みの課題です。

ですから「来るのが当たり前」みたいな気持ちでやってると必ず痛い目に遭います。

遭わないようにマネジメントすれば遭わないようにできますが、「来るのが当たり前」みたいな気持ちにさせてしまうのはマネジャーの責任です。

ところが、言葉の上で「そんなことのないようにしなさいよ。」「そんなことは決してありません」とやりとりするのは簡単ですが、言葉でコントロールできるならマネジャーは入りません。

そこで注目するのが、ご新規さんとリピーターの数のバランス。数字は正直です。

リピート率を飛躍的にアップするのが、店員さんの力です。
店員さんの力を引き出すのがマネジャーの力量です。

店員さんが力を発揮していれば、定着率も高くなります。
働きがいが生まれるからです。

働きがいの裏にはお客様のリピート率の高さがあります。
ここで買いたいというお客様の気持ち、つまり買いがいがあるからです。

難しい話ではありません。
「買いがい」の裏には店員さんの「喜んでもらえるうれしさ」があります。
店員さんの「喜んでもらえるうれしさ」の裏側にはお客様の「喜んでもらえるうれしさ」があります。

つまり両者Win-Winです。温かい交流があったから両者に「喜んでもらえるうれしさ」が芽生えたのです。

この気持ちがリピートの原動力です。仲の良い夫婦には、お互いに「喜んでもらえるうれしさ」を持っています。だから結果的に仲が良いのです。それと同じです。




お客様はポイントカードがなくても、値段が安くなくても、温かい交流があれば、(諸条件が許容範囲なら)どうせ、買うなら喜んでくれる人から買いたいと思うものです。

価格や販促は、その関係ができあがるまでの「つなぎ」でしかないのです。

なのに、店員さんに「喜んでもらえるうれしさ」もない、「買ってもらえるうれしさ」もない、「来るのが当たり前」「買うのが当たり前」と思っているとしたら、思ってなくても、思われても仕方のないような言葉、態度、表情をしているなら、「買ってくれなくていい」と言ってるのと同じなので、売り上げは落ちます。

ようするに、「何をしてるか(Do)」ではありません。「あり方(Be)」の問題なのです。あり方(Be)が歪んでいたら、なにをしたって歪んでしまいます。

「喜んでもらえるうれしさ」を持っていたら、リピート率も、定着率も高くなるのです。


「喜んでもらえるうれしさ」は、一瞬で表現できます。一瞬で伝えることができます。時間はかかりません。「気配り」のひとことです。困っていないかと察する思いやりです。


2016年4月16日土曜日

売場は、陽性のストローク(交流)があふれていますか?



「日本一視察が多いといわれるスーパー、ハローデイ。」

そう囁かれる企業が福岡県にあります。中堅規模のスーパーですが、ここの売り場のコンセプトは「アミューズメント・フードホール」。

趣向を凝らしたディスプレーやアイデア満載の商品が客を迎えます。
魅惑の売り場で顧客の心をつかむハローデイは見方によって奇異に見えることもありますが、決してそうでないのは小売業の本質を抑えていることにあります。

買い物はアミューズメント。
楽しみなのです。

快適に楽しめるように、大企業、中小企業問わず小売業に限らず改善に改善を重ねてきたのです。

ハローデイは働く楽しさ、買う楽しさを、「アミューズメント・フードホール」というコンセプトを通して創出し続けて、顧客の支持を何年も獲得し続けてきているのです。



時は生き物、変わり続けているわけですから、続けるとは、変化し続けていることを意味します。

時代が求めるニーズに応えられない企業は古今東西問わず顧客に見放されてきました。
接客力で企業価値を向上させるのは時代の要請であり、それに応えられるように研鑽している現代。

快適さという視点で接客を考え、実行されていないと、あり方を間違え行動を間違えて、しかも気がつかないということが起こってきます。

時代が求める快適さはどんどん変わっています。
快適さも変わるので、接客も変わります。
向上しない接客は、どんなに優れていても「飽きた」と言われます。

飽きない接客とは、より温かいストローク(交流)を実現することです。
顧客はいつも同じサービスを受けられることで安心しますが、より温かいストローク(交流)を得られないと「飽きた」と感じます。

ストローク(交流)は、自分とお客様とのストローク(交流)考えるかも知れませんが、そうではありません。

あなたの家庭で考えてみてください。
お母さんが、子どものあなたとの間で温かいストローク(交流)をしてくれていたら、あなたは安心できるはずです。

しかし、そのお母さんが、あなたの目の前で、お父さんとの間でストローク(交流)を断絶していたり、陰気なストローク(交流)を展開していたら、あなたは安心できますか?

できませんね。


つまり、顧客は目の前のあなたとだけ交流しているのではなく、店全体と交流しているのです。もし店全体がまじめすぎる接客をしていたら、お客様は陰性なストローク(交流)しか得られていない可能性が高いのです。

この改善ができるのは「店長」だけなのです。

家でも同じです。お父さんかお母さんが店長よろしく責任を引き受けないと、家族全体が温かい陽性のストローク(交流)はできることはないのです。

もし、店長が(あるいは責任者が)個人の接客の改善にだけ気を奪われていたとしたら、チームとして温かい陽性のストローク(交流)ができているか、どうか見失います。
もっとも個人の接客の改善なしに、チームとして温かい陽性のストローク(交流)はできませんが。

つまり店長とスタッフは目的・目標が違うということです。

接客力が高く見えるスタッフがいます。
この種の人は新人や後輩から尊敬されます。
「あの人のようにできるようになりたい」と思われます。

しかし接客力が高く見えるのと温かい陽性のストローク(交流)をしているか、どうかは別の次元なのです。
接客力が高く見えるとはソツなくできている人を指している場合が少なくないのです。
するとこの人が店の限界になる場合が少なくないのです。
陽性のストローク(交流)ができない売場になってしまうのです。

そうすると、どうなると思いますか?
ソツなくやっているので、店全体の見た目の接客力はあるように見えるけど、温かみがないという売り場が出来上がってしまいます。
誰も温かい陽性のストローク(交流)をしていないからです。

ところが働いている人は信頼の高い接客力の高い先輩に憧れ、指導を受けスタッフ間で温かいストローク(交流)をしているので、温かいストローク(交流)をお客様との間でもしていると錯覚してしまうのです。

この状態を私は「できのいい先輩による職場の私物化」と言います。
もちろん本人にそんな意識はありません。
しかしその人がいる限り、店長が変わろうが、後輩が変わろうが、売り場の改善は進まないのです。

これを改善するには配置転換が一番簡単ですが、「できる先輩」なので店長も重宝します。
知らずに「職場の私物化」を認めてしまうのです。
「できる先輩」も成長する機会を失います。

温かいストローク(交流)とソツのない接客は次元が違います。
マニュアルでやってなくてもソツのない接客はマニュアルとみなされます。
感動がないからです。感動は陰性のストロークでは絶対に起こりません。
陽性のストロ−クがあってから、感動は起こります。

アメリカ仕込みのユニバーサルスタジオでは、観客にわざと水をかけます。
陽性のストロ−クを仕掛けているからです。
この種の悪ふざけはアメリカでは当たり前のようにやります。
お客を楽しませるのが仕事だから温かいストローク(交流)を試みるのです。

真面目な日本人は苦手です。
その真面目には、言い過ぎにしても「責任逃れ」という側面、顧客満足より、自分に目線がいってることに気をつけましょう。




さあ、やり過ぎよう、生き還ろう

2016年4月15日金曜日

まじめな接客に悩むあなたに



とても丁寧だけど好感度が低い接客があります。デパート、銀行、ホテルなどに多いように思います。同じ業種でも感じがいいなと思うときもあります。

その違いはひとことでいうと「親しみ」の有無です。
謙る(へりくだる)のと、フレンドリーの違いです。

西欧諸国の外国の人は、一度会っただけの人でも、手紙に「親友へ」「友達へ」と書くことがよくあります。この感覚の違いだと思うのです。

接客とは「マナー」ではありません。心です。つまりホスピタリティー。ホスピタルのホスピタリティーです。

入院した経験のある方なら分かると思いますが、ナースさんは総じて丁寧ではありません。時には上から目線です。年齢に関係なく「お母さん」のようであり、「姉」のようです。面倒見てあげているという態度に患者は安心感を覚えるのでしょう。

病院とサービス業などの接客とは、ポジショニングが違うとは思いますが、ケアするという点では共通しています。丁寧な接客には「無難に」「粗相(ミス)がないように」という思いが見え隠れします。この思いが「反感」を買うのです。目線が当事者本人に向いているからです。

「好き避け」と同じ構造です。
「接客するのに照れてどうするねん」という世界です(笑)
「好き避け」された相手は寂しいのです。嫌われたのと同じ状態にあるからです。

「ケアする」には相手に目線がいっています。そこに「情愛」を感じるから、丁寧な応対でなくても気にならないのです。

では、どうすればいいのでしょう。

丁寧さを疎かにしていいわけではありません。
少なくとも初対面では失礼にならないようにする必要があります。
しかし、ここまでは当たり前であり普通なのです。
つまり記憶に残らない、心に残らないということです。

記憶に残すには心に残らなければなりません。丁寧さだけで終わらないようにします。

つまり始まりと終わりの間に、心理的に距離を縮めるということです。

新規にご来店されたときは「いらっしゃいませ」でお迎えしますが、お帰りになるときには、「また来てくださいね。待ってます。」と親しみのあるお見送りになっていることが心に残るポイントなのです。

ではどうすればできると思いますか?
アメリカのレストランで働く人たちがいい先生です。
彼らはチップをもらうために懸命です。つまりプロです。

彼らの作法はこうです。
途中で感想なり、要望を聞き出すことです。

アメリカのレストラン、あるいは国内のアメリカ系のレストランで食事していると、必ず「味はどうですか?」「楽しんでいますか?」「問題はありませんか?」など笑顔で質問してきます。

ほとんどの場合、お客様は「美味しいよ」「楽しんでいるよ」「問題ないよ」と投げかけた質問に肯定的に反応してくれます。

つまり一応の受容をしてくれたわけですから、ここが距離を縮めるチャンスです。

お客様は、自分が受け入れられることを望んでいるのです。
ところがほとんどの店は自分が受け入れられることを望んで、丁寧に対応しょうとします。
これでは、両方が受け入れることを望んだままで距離は縮まらないのです。

人は誰でも肯定的な温かみのあるストローク(交流)を求めています。
あなたのするべき仕事はなにかと問われたら、「温かみのあるストローク(交流)の実行」なのです。これが接客の基本です。



「味はどうですか?」
「美味しいよ」
「そうでしょう。僕もそれが大好きなんですよ。毎日食べてるんですよ」


「楽しんでいますか?」
「楽しんでいるよ」
「ありがとうございます。それが一番ですね。買い物は楽しいのが基本ですからね」

「問題はありませんか?」
「問題ないよ」
「そう言っていただくと嬉しいです。何か気になることがあったら言ってくださいね」



お気づきだと思いますが、質問の段階で、もう丁寧語ではないですね。気遣いが働いているので気にならないのです。


お客様が求めているのは、「温かみのあるストローク(交流)」だということを忘れないでください。それは時間とともに変形することで実現できるのです。つまり店側が歩みよることで可能になるのです。

「慇懃無礼」という言葉があります。。。気をつけてくださいね。